『こっち向いて』『投げチューして』
そんなきみまろの生きがいとも言えるライブが行えない間、どんな生活を送っていたのだろうか。
「私の本拠地は河口湖です。畑が300坪くらいあるので、ちょうど昨年の3月あたりから土作りを始めて、ジャガイモやカボチャにトマト、ナス、キュウリ、トウモロコシなど、いろいろな野菜作りに没頭しました。だからコロナ禍でも“仕事がない、どうしよう”って焦ったりもせず、うまく気持ちの切り替えができましたね。身体も動かせるし、とれた野菜をご近所さんに配ったりして、いい時間を過ごせたなと思います」
42歳のときに建てた山梨県の自宅で、畑仕事にいそしんだという。70歳を迎えた今も、足腰はしっかりしているし、滑舌(かつぜつ)もいい。普段から健康には気を遣っている証拠だ。
「体調がいいときは“まだ70歳”って感じるけれど、あまりよくないときは“もう70歳か”って思いますよ。え、まだ全然若く見えるって? そうでしょ、気をつけてるもん(笑)。私みたいに芸ごとで生きている人は、きちんとした定年がない。だからこそ楽しい反面、つらいことも。退職金もないし、辞めたら“ただの人”ですから。でも、本来であればとっくに定年を迎えている年なのに、50代でブレイクさせてもらってから今まで、同じことを続けていられる。こうやってインタビューもしてもらえたり、仕事ができて本当にありがたいですよ」
ここ数年で、会場を訪れる客層にも変化があったと続ける。
「(香取)慎吾さんと共演させてもらってから、ちょっと若いお客さんが増えたかな。以前は完全に中高年だったのが、30〜70代くらいまで幅が広がりました。この間の公演なんか、前列に『きみまろ』『こっち向いて』『投げチューして』なんて書いてあるうちわを持った3人組の女性がいてね! うっかり見ちゃうからタイミングがとれなくなって、やりづらさもあるんだけれど(笑)、まだ俺にも需要があるな、やれるな! って思ったんだよ」
アハハ、と笑いながら、うちわをふる動作を再現してくれた。
「体力が持つ限りは公演をやり続けたいですね。“こういう人が世の中にいたんだ”って足跡を残してるようなもんですから。舞台で同じことを2回も3回も言うようになっちゃったら、自分でも辞めようと思ってる。今のところ、話が止まってしまうこともなければ、壇上に置いてある水を途中で飲むこともない。だから、まだやれるかな」
普段から持ち歩いているという縦長のノートを見せてほしいとお願いすると、快く了承。その中にはびっしりと、ネタの元となるメモが書かれていた。自宅には、段ボール数箱ほどにもおよぶノートがあるのだそう。
「誰も褒めてはくれないですが、自分のために自分でやっていること。これが仕事だし、私自身が築いてきたものですよ。飛行機や新幹線の中とか、移動中に何か浮かぶたび、書きとめているんです。それをヒントに作ったネタを舞台で披露するけれど、もちろんウケないときもある。そうしたら、また考え直す。その積み重ねですよ!」
人生日々勉強……きみまろは、そんな言葉を体現してくれるパワフルな70歳だった。
(取材・文/高橋もも子)
【PROFILE】
あやのこうじ・きみまろ ◎1950年12月9日生まれ、鹿児島県出身。'79年、日劇より漫談家としてデビュー。'02年にリリースしたCD/カセットテープ『爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛をこめて…』で注目を浴び、中高年向けの毒舌“あるあるネタ”で一躍、人気者に。現在も数々の舞台やバラエティー番組などで活躍する。著書に『しょせん幸せなんて、自己申告。』(朝日新聞出版)や『書きとりきみまろ』(講談社)など。現在、冠番組『綾小路きみまろTV』が CS映画・チャンネルNECOで放送中。