違和感と不快感で満ちた「旧劇場版」
そして、旧劇場版の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(前出/以下『シト新生』)ともう1本、完全新作の劇場版の製作が発表(1996年11月1日)される。
当初、『シト新生』は、総集編の『DEATH』編と、第25話と第26話を完全新作する『REBIRTH』編で公開される予定だったが、公開1か月前(1997年2月14日)に緊急記者会が開かれ庵野監督が謝罪、製作が間に合わず、25話の途中までの上映になること、夏に改めて完全版の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を公開することが発表される。前売り券は『Air/まごころを、君に』でも使えるという措置がとられた。これらの影響もあり、後に庵野監督が『進撃の巨人』そっくりの内容だったと語った、もう1本の完全新作の劇場版は、幻の作品となってしまう。
『シト新生』は、最高にかっこいい貞本義行のイラストポスターとは大違いの、満たされないモヤモヤが増すだけの映画だった。ファンは夏まで待たされたうえ、『シト新生』を見た人々は、再び映画館に足を運び、すでに見た映像が約28分もある映画を見るハメに。
そして1997年7月19日、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』が公開。やっと完全な結末が見られると思っていたファンの期待は、またしても見事に裏切られる。
テレビ版の最終回は、葛藤から開放され、仲間に祝福されるシンジの笑顔で終わる。「おめでとう」そして「ありがとう」という、あまりに有名なシーン。なのに映画は、最後にアスカが吐き捨てるセリフと同じ「気持ち悪い」ものになっていた。旧劇場版は違和感と不快感で満ちていた。
そこには、もう私たちが歓喜したSFロボットアニメ、サービスにあふれた至高のエンターテイメント作品の『エヴァンゲリオン』は存在しなかった。
キャラクターたちは、テレビ版でのアニメらしい生き生きとした表情とは明らかに違い、どこか生気のない異質な感じの絵柄へと変貌していた。シンジはエヴァに乗ることを拒み続け、やっと乗っても何もしない、戦うそぶりも見せないのだ。不快な表現とグロテスクな描写ばかりが続き、救いのないまま物語は終わってしまう。
そして、庵野監督は本作の中でファンに向けて「現実へ帰れ」とメッセージを送った。それは、あたかもテレビ版の最終回を見てネット上に暴言をまき散らした者たちへの答え、“復讐(ふくしゅう)”のようにも思えた。
『エヴァ』には、『ウルトラマン』や『ガンダム』、その他にも『謎の円盤UFO』『マジンガーZ』『デビルマン』『犬神家の一族』など、多くのアニメや特撮、映像作品のイメージやテクニックに対する庵野監督の愛、オマージュが見て取れる。
そうやって苦労して作り上げ、年齢・性別・国を越えて多くの人々を魅了した『エヴァ』を、庵野監督がなぜ、まったく違うテイストの映画へと変貌させたのかは、今考えても理解しがたく、ただただ残念で仕方ない。
“まごごろ”の意味もわからず、私たちのエヴァ体験は補完できないまま終わったのだと思った。