もともと『涙のリクエスト』の前評判はとてもよかったんだよ。ただ、バース(曲本編に入る前の序章部分)から始まるし、デビュー曲にするにはちょっとインパクトに欠けるってことで、セカンド・シングルになったんだよね(笑)。

 この『涙のリクエスト』は、彼らに初めて詞先(曲ができる前に作詞をすること)で書いた2作のうちのひとつなんだ。そのとき一緒に『テレヴィジョン・ベイビー』ってタイトルの歌詞も作った。順番からいくとこっちが先に書けたし、自分としては本命だと思っていたよ。なぜかって言うと、歌詞についての最初の打ち合わせでヤマハのプロデューサーから、“《未来のオールディーズ》ってコンセプトで、サウンドは(そのころはやっていた)ロンドンのニューウェイヴ」と言われていたんだ。

 でもね、彼らのデモテープを聴くと、基本的にドゥー・ワップ・グループ('50年半ばにアメリカで隆盛した合唱スタイルの一種)だったからさ、本当にニューウェイヴでいいのかなあという疑問もあって、念のために”押さえ”のつもりで、ラッツ&スター(旧名:シャネルズ)にも通じるような純粋なオールディーズの基本イディオムを使って書いたんだよ2作を提出したんだけど、芹澤さんが『涙のリクエスト』を気に入ってくれて、そっちだけに曲をつけたんだね

 芹澤の大英断は見事に当たり、発売4週目には初のオリコンTOP20入りを果たし、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の注目作を紹介するコーナー“スポットライト”に登場。その2週後には、オリコン、『ザ・ベストテン』ともにTOP10入り。さらに、3週後には『ザ・ベストテン』で1位に上りつめ、7週連続の1位となった。オリコンでは、初登場作品に阻まれ最高2位どまりとなったが、6週連続でTOP3入りを維持。累計約67万枚を売り上げ、年間第4位となる大ヒットを記録した。

“2曲目×売野=成功”の神話が誕生

 そして、3作目のシングル『哀しくてジェラシー』が発売されるや否や急上昇。それとともに、徐々にチャートを上げていた『ギザギザハートの子守唄』もTOP10入りし、当時としては非常に珍しい“3曲同時にTOP10入り”を、レコード売り上げ、『ザ・ベストテン』ともに達成する。その後の快進撃は、多くの人が知るところだろう。

「だからね、『少女A』も『涙のリクエスト』もセカンド・シングルだから、当時“2曲目を売野雅勇に書かせたら売れる”っていうのがヒットの法則みたいに言われて、ちょうどよかったよ。結果オーライってやつだね(笑)」

 ここから、’86年に発売の『Song for U.S.A.』 まで大半のシングルを売野が手がけているが、同年までに出た4枚のオリジナルアルバムでも、収録曲の約半数は売野が作詞している。

 売野はその1stアルバム『絶対チェッカーズ!!』についても、興味深い2つのエピソードを語ってくれた。ひとつは、鶴久政治がリードボーカルをつとめた楽曲『HE ME TWO(禁じられた二人)』について。男性カップルの恋愛をテーマにした曲だが、当時としてはかなり異色の内容だった。

「以前から、自分が好きになる作家や芸術家にゲイが多くて、逆に“なんで俺だけそうじゃないんだろう”って不思議に思うくらいだった。それだけ自分にとっては身近な存在だったから、このテーマの曲を書いたんだ」

 この少し前、郷ひろみに書いた『2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-』でも《抱きしめて男を女をハーフを》というフレーズがあり、その根底に深い人類愛を感じさせる。

 そして、もうひとつは、続くシングル『星屑のステージ』にまつわる話。これは、もともとアルバム用の1曲だったという。

「『星屑のステージ』は、ちあきなおみの『喝采』をヒントに作ってほしいと言われてね。俺は、アイドルには私小説的な歌詞を書くから、作品と彼らの軌跡が互いに接近してくるのだけれど、この詞を書くときには主人公たちと、彼らのライブハウスに来ていた女の子との架空のストーリーが浮かびあがってきたんだ。ヒントとすべきが『喝采』だから、その女の子はもうこの世にいない、という設定にして」
(※『喝采』の歌詞は、“大切な人との死別”が大きなテーマとなっている)

 そのドラマティックな設定と、悲しい歌詞でも前向きな気持ちにさせる藤井フミヤの歌声、メンバーのコーラスや演奏の力強さも相まって、初のバラード・シングルながら『ザ・ベストテン』では7週連続の1位となった。