『夜のヒットスタジオ』収録時に笑顔を見せる中森明菜と、少し緊張した面持ちのチェッカーズ・藤井フミヤ(1987年)

生みの苦しみの先につかんだ栄光

 そうして迎えた5作目のシングルが『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』だが、当時ノリに乗っていたと思いきや、超難産の1作だったという。

「『ジュリア~』は5回書き直したけど、それは未だに更新されない自己最高記録だね(笑)。最後のかたちが100点だとしたら、最初に出した原稿は、後から振り返ると50点くらいだったかな。芹澤さんに何度もダメ出しされて。彼はもともと歌手だから、自分が歌って気持ちいいか、カタルシスがあるかどうかが大事で、心に突き刺さらないとOKが出ないんだ。普通、そこまで何度もNGだと他の作詞家に変えちゃうんだろうけど、俺が最初に書いた

《キャンドル・ライトが ガラスのピアスに反射(はじ)けて滲む》

という出だしのフレーズのグルーヴ感が、誰にも敵わないくらい圧倒的だったんだよ。全体をこのノリに合わせればイイ歌になる、って確信してくれていたみたい」

 5回も書き直したかいあって、どのパートも印象的なフレーズに仕上がった『ジュリアに傷心』は、オリコン調べではチェッカーズの中で唯一70万枚を超えるセールスとなり、'85年度のオリコン年間ランキングでも1位に。また、'00年代に始まった音楽配信でも10万以上のダウンロードを記録しており、まさに“記録にも記憶にも残るヒット曲”となったと言えるだろう。その後も売野は『あの娘とスキャンダル』や『俺たちのロカビリー・ナイト』『OH!POPSTAR』と、彼らのリアルなイメージを投影した歌詞を手がけ、順調にヒットを飛ばしていった。

 ここでも、印象深いエピソードをひとつ。

「そういえば、9枚目のシングル『神様ヘルプ!』(作詞:康珍化)のときに、俺もその同じメロディで詞を書いていたんだ。でも最終的に康さんの『神様ヘルプ!』をシングルにするからって、ボツにされたんだよね。その歌詞には自信があったからね、ちょっと残念というか、“え!?”って感じだよね。しかし、そういうのはよくあることだから、決してメゲたりはしないんだよ。もちろん、俺の作品のほうが絶対いい、なんてことも言わないさ。それが作詞家ってもんだよ。

 ボツのことなんてすっかり忘れたころ、真夜中だったけど、自宅近くのコンビニに入ったとき、聞き覚えのある歌詞が流れてきて、“俺の詞に似てるな”、“こうやってフレーズを並べれば、売野雅勇風にできるんだ”と妙に感心していたんだ

  2コーラス目が流れてくると、フミヤの歌声だとわかり、「これは俺が書いた『ひとりじゃいられない』という歌だ!」とやっと気づいた。同時に、ずいぶん前に芹澤から「ボツにしたけれど、お蔵入りにするにはもったいないので、別のメロディーをつけてシングルのB面に入れましたから悪しからず」と言われていたのを思い出したという。(詳しい記述は、前述した売野の著書『砂の果実』にもあり)

 ちなみに、この『ひとりじゃいられない』の歌詞には、人を思いやる真っすぐな気持ちが込められており、フミヤの温かい歌声ともリンクして、女の子が胸キュンしそうなミディアム・バラードに仕上がっている。それはまるで、メンバーからファンに宛てた1通のラブレターのようだ

 筆者が担当するランキング番組『渋谷のザ・ベストテン』(渋谷のラジオ)でも、チェッカーズ限定のランキング投票を実施したところ(全2060票)、ファンリクエスト部門では8位と、シングルB面曲としては異例の人気に実際のA面だった『神様ヘルプ!』を大きく上回っている。