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社会

【特集:戦争体験】母は次男の帰還を待ち続け「絶対に帰ってくる」はずが10年後

SNSでの感想
インタビューに応じた藤間宏夫さん
目次
  • 割り箸の紙袋みたいなやつが1枚

 終戦から76年──。戦争の怖さや苦しさ、悲しみなどを語り継ぐため、過去の週刊女性PRIMEや週刊女性の誌面から戦争体験者の記事を再掲載する。語り手の年齢やインタビュー写真などは取材当時のもの。取材年は文末に記した。(【特集:戦争体験】第7回)

 ◇

「母は子どもに対してものすごく愛情が深かった。誰よりも感謝しています」

 仕事が忙しく、母・ゑひさんの死に目に立ち会えなかったのが「不徳の致すところ」と語るのは藤間宏夫さん(78)。

「昨年(2016年)から、戦争体験の話をしてほしいと登壇を頼まれるようになりました」

 貴重な語り部として、多いときは400人以上を前にして体験談を語る。

 東京・日本橋の出身。宏夫さんは8人きょうだいの7番目で、6歳のとき東京大空襲を経験した。まだひとりで疎開できる年齢に達していなかった。

「焼夷弾が自宅を直撃しました。避難する時間なんてなかった。私は1階の押し入れに落っこちるようにして逃げたんです」

 あと少しズレていたら生きていなかっただろう。宏夫さんはそう思う。生き延びるために一家は逃げた。

「母は弟を背負い、私の手を離さずにひたすら逃げました。かろうじて避難したのは防空壕のような地下です。しかし、地上に降る焼夷弾の熱や煙で死を覚悟するほど過酷な環境でした」

 ようやく地上に出られたとき、周囲には何もなかった。次に待っていた試練は食糧不足だった。

 焼け野原となった東京から静岡・牧之原へ疎開した。避難してきたというだけで白い目で見られた。

「もともと物資が足りていないのに、避難してきた人に渡す食料なんてなかったんですよ」

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