1124
「1日1フム」生活。- フムフムニュース -
fumufumu news サイト休止のお知らせ
芸能

柏原収史、40代を迎えて大きな決断。「最大のピンチ」をチャンスに変える

SNSでの感想
柏原収史 撮影/山田智絵
目次
  • ボーカリスト・柏原崇の衝撃
  • ネスミスとは兄弟のような関係
  • どこからでもかかってこい!
  • 40代を迎え人生初めての決断

 俳優としてさまざまなドラマ・映画に出演してきた柏原収史(42)だが、15歳でデビューして以来、常に音楽との2本柱でやってきた。兄・柏原崇をボーカルに迎えたロックバンドNo'whereでCDデビュー、現在EXILEのメンバーとして活躍するNESMITH(ネスミス)と組んだSTEELのほか、音楽制作・プロデュースの仕事も多い。幅広い分野にわたる活動に迫る──。

※前篇は『柏原収史「ぜったい行かない」と言ってた兄貴が… 柏原崇と“同期デビュー”秘話』

ボーカリスト・柏原崇の衝撃

 そのとき20歳の柏原収史は熱狂の渦の中にいた。1999年8月、4人組バンドNo'whereとして初の海外公演を敢行。今も目に焼きついている光景がある。

台湾でコンサートを開いたのは強烈な体験でした。ドラマの『イタズラなKiss』の人気で兄貴が台湾でバズって派手に歓迎してもらったのは、鮮明に記憶に残っていますね。もう空港が何百人ものファンであふれかえって、黒服の警備が10人くらいついて僕らを守って。移動も警察の車が先導して後ろからファンの女の子たちが原付のバイクでウヮーっと追いかけてくる。ライブには3万人ものお客さんが集まって大変な熱量でした。ものすごい経験をさせてもらったのは、本当に忘れられません。あのドキドキがあったから、今でも音楽のライブの楽しさを追い求めているところはあります

 No'whereが結成されたのは、兄弟が俳優デビューしてから5年後の1998年。

「最初から兄貴と一緒というわけではなかったんです。僕は僕でドラムの人と東京で出会って “一緒にバンドやりましょう” ってなって、兄貴は兄貴でレコード会社から “歌を出しませんか” と誘われていた。でも兄貴はいわゆる役者が歌うみたいな形は気がすすまなくて、ずっと断っていたんです。そんな中、僕とドラムが練習スタジオに入るのがすごく楽しそうに見えたらしくて、 “一回会わせてくれ” と。3人でスタジオ入ったら、兄貴も “この輪に入りたい!” ってなって

 収史と一緒のバンドだったらやりたい、という希望がレコード会社に認められ、デビューに向けて具体的に動き出す。

「ドラムの修ちゃん(藤井修)はB’zの稲葉さんともやっていたバリバリのプロの方で、当時もう30代後半だったかな。そこからベースを探そうってオーディションをして、丸さん(田中丸善威)が入って4人そろうんです」

1998年7月、CDデビューを控えメディアの取材に応じるNo'whereの4人。左から田中丸善威(B)、柏原収史(G)、藤井修(Ds)、柏原崇(Vo) 撮影/下宮信敏

 1998年秋にシングル『Another World』 でフォーライフレコードからメジャーデビュー。デビュー曲は収史が作曲、崇が作詞を担当。アルバムでもほとんどの曲を収史が手がけ、ロックなスピリットを炸裂(さくれつ)させている。だが英国のバンド「オアシス」のリアム・ギャラガーを意識したであろう柏原崇のパフォーマンスは、ファンの間でも賛否両論があったようだ。

「僕は俳優でもわりと悪い少年役とか、とっぽい感じが多かったんですけど、兄貴はさわやかなイメージで見られていたので、かなりビックリされたというか。“こんなダミ声を使って歌って!? ” みたいな反応もありましたね(笑)」

 結局No'whereはシングル3枚、アルバム1枚をリリースしたものの、1年ほどで活動を休止することになる。

「それも別になんとなくだったんです。ここで契約が終わるとも言われなかった。兄貴がドラマの撮影に入ったら3か月間活動しなかったりするわけじゃないですか。そのままフェードアウトみたいな感じで。アルバムを出した後 “次はいつ出すのかな?” みたいなことをポロッと聞いたら、“いったんNo'whereはお休みよ” みたいなことを言われた気もするんですけど、かといって “エーッ” とか挫折とかはないまま」

ネスミスとは兄弟のような関係

 そこで、収史は新たなステップを踏み出す。現在はEXILEのボーカル&パフォーマーとして活躍するNESMITHとの2人組ユニット「STEEL」だ。

「とにかくバンドで活動したかったので、僕のスタイルからいうと、曲を作りたい、ギターを弾きたい、ボーカルが欲しい……。ちょうど当時やっていたのが『ASAYAN』の男子ヴォーカリストオーディションだったんです」

 テレビ東京の『ASAYAN』はナインティナイン司会の「夢のオーディションバラエティー」。番組ではさまざまな企画が組まれ、モーニング娘。、鈴木亜美ほか多数のアーティストやタレントがデビューのチャンスをつかんだ。このときは男性デュオをつくる企画で、堂珍嘉邦と川畑要が合格してCHEMISTRYを結成するのだが……。

オーディションで初めてネスミスを見て “ああ、すげぇいいボーカルがいるなぁ” と。もう毎週テレビにかじりついていましたね(笑)。そこから5人残ったのがケミの2人とネスミスと藤岡くん(現在ミュージカルなどで活躍する藤岡正明)と今のEXILEのATSUSHIくん。超アツいその5人からまずATSUSHIくんが落ちて4人残ったんです。それでいろいろなペアで歌ったんですけど、僕は圧倒的に堂珍・ネスミスだと思いましたね。でも、最終的に選ばれたのは堂珍・川畑のペア。すぐにレコード会社に “ネスミス獲得できないですか?” “あのネスミスとやりたいです!”って電話していました

 熱い思いが通じてSTEELとして翌2001年6月にデビュー曲『Because…』をリリース。収史の作詞・作曲で、オリコン17位のスマッシュヒットとなる。

「そこは本当にもうCHEMISTRYの恩恵というか。ネスミスは最後まで残ったひとりなので、世間に注目してもらえたんですよ。その後、僕がトライストーンからメリーゴーランドに事務所を移籍したこともあって(経緯についてはインタビュー前編を参照)、ネスミスは何年かソロで活動するようになり、やがてEXILEのHIROさんから声がかかってJ Soul Brothers(2代目)になり、EXILEに昇格して今に至る、と。ネスミスとはいまだに兄弟のような関係です

2020年4月、コロナ禍のさなかEXILE NESMITHとの久しぶりのコラボがファンを喜ばせた/本人のTwitterより

 2020年4月にはコロナ禍の中、2人が19年ぶりにコラボする動画がSNSにアップされ、ファンを喜ばせた。

「ああ、そうですね。昔のSTEELの曲(3枚目のシングル『Calling you』)をやりました。あれはリモートなんですけど、僕がまずギターを録って送って、それに合わせてという形です。今もまだコロナ禍は続いていますが、当時は本当に異様な空気感だったので、少しでも自分たちでできることをしたかったんです」

読み込み中
LINE Twitter facebook hatena pocket copy