手抜きした映画でほめられた!

 高校を卒業して上京。俳優業のかたわら、収史がギター、崇がボーカルの4人組ロックバンドNo'whereを結成するなど活動の幅が広がったころ、今でも忘れられない映画に出会う。黒木和雄監督の『スリ』(1999年撮影、2000年公開)だ。収史は主演・原田芳雄が演じる初老のスリに弟子入りする若者の役に抜擢(ばってき)され、ひときわ異彩を放つ金髪のまま演じている。

「僕が勝手に染めちゃったんですけれども、まだ当時はあまり金髪の人はいなかったんですよ。globeのKEIKOさんとラルクのHYDEさんぐらい(笑)。当然、事務所も細川さんも反対でしたが、 “俺はロッカーだから” みたいなヤンチャな感じで。それでも細川さんは一生懸命、映画の役を探してきて、黒木監督に会えるようにしてくれたんです」

 黒木和雄監督は『竜馬暗殺』『祭りの準備』『TOMORROW/明日』などで知られる名匠。

今でも覚えていますが、監督は終始ずっとニコニコされていて。僕は “この金髪はちょっと直したくないんで” ぐらいの生意気な態度だったんですが、 “うんうん。君はそのままでいいんだよ” と起用してくださったんです。『スリ』では金髪でいいと言われたこともあって、台本も “現場で覚えればいいっか” ぐらいの適当なノリで。それで本当に変な話、これまでの作品の中でいちばん手を抜いたのが『スリ』なんです

金髪ロッカー時代(右から2人目)。No'whereのセカンドシングル『Don’t stay』(1999年1月リリース)でも異彩を放つ。右は兄・柏原崇

 ところが、その『スリ』で「日本映画批評家大賞」の新人賞を受賞する。

「本当に驚きました。“え、なんで? みんな喜んでくれているけれど、なんでなんで!?” “今まで一生懸命やればやるほど怒られていたのに、いちばん手を抜いたもので評価されるって、芝居ってなんなんだよ!?” と。結局、芝居は俳優の自己満足よりも、見た人がどう感じるかなんでしょうね。

 しかも『スリ』では原田芳雄さん、石橋蓮司さん、風吹ジュンさん、香川照之さんと、すごい先輩方ばかりの中で若い僕が普通にいたら緊張しまくっていたと思うんですが、当時はNo'whereでバンドデビューした直後だったこともあって、いい意味で適当にやれた。『スリ』をきっかけにだんだん芝居が好きになり、賞をいただいてさらにお仕事をいただくようになりました。なので、すごく思い出深い、思い入れのある作品ではあります。それにしても黒木和雄監督には何が見えていたんだろうっていまだに不思議で。あらためてお聞きする機会のないまま、監督は亡くなってしまったんですけれど」

 黒木和雄監督は2006年、75歳で逝去。

 マネージャーの細川美由紀さんとのつらい別れもあった。2004年11月27日、まだ40代の若さだった。その前年、収史は10年間所属したトライストーン・エンタテイメントを離れて、兄・崇と同じメリーゴーランドに移籍している。そこに届いた訃報だった。

柏原収史 撮影/山田智絵

恩人マネージャーの「遺言」

「事務所を移籍したのは、いわゆるケンカ別れだったんです。細川さんが重い病気というのがわかってからも、僕はずっと一緒にやっていこうと思っていたんですけど……、どういうわけか僕がやろうとすることに細川さんがいちいち反対するというか、ケンカを売られた感じになって。 “もういいよ、俺やめるよ” みたいな流れになって。でも、亡くなってだいぶたってから知ったのですが、それも細川さんの親心でした……」

 細川さんはシングルマザーとして思春期のひとり娘を育てるかたわら、自らが発掘し育てた収史と小栗旬に深い愛情をそそいでいた。病気が進行し覚悟を決めた細川さんは、収史の身柄を柏原崇が所属するメリーゴーランドの森本精人社長に託したいと考えた。「でも、収史は優しいから動かないと思う。だから、私から突き放すようなことをします」と言って、わざと煙たがられるような態度をとっていたのだ。

 細川さんは、芸能界の仲間にも “遺言” をのこしていた。

「当時マネージャー会といって、いろんな事務所の6人ぐらいで定期的に集まる会があって、そこにいた人たちにも僕は個人的にお世話になっているんですけど、“美由紀ちゃんは最後まで本当に気にしていたんだよ” と言われました。

 亡くなる少し前、いよいよもう長くないというときにマネージャー会があって、病気で何か月も欠席していた細川さんが久しぶりに参加したそうなんです。2階のお店で階段も上がれない状態だったので、おんぶされて店まで入って……。そのときに言ったのが “もしも私に何かあったときには、娘の彩、旬、収史。この3人は助けてあげてほしい” と。それを言いにきたじゃないですけど、店には30分もいられず、またおんぶされて下まで降りて帰った日が最後だったそうです。

 もう僕が事務所を出てからなのに、最後まで気にかけてくれていたというのには、本当に感謝しかありません。何も知らずに “じゃあ、やめるわ” なんて言ってしまった後悔は残っていますけど、きっと向こうで笑ってくれていると今も相変わらず甘えている自分がいます

 収史がトライストーンに所属したのはちょうど10年間。メリーゴーランドに移籍してからは18年になる。

「メリーゴーランドの森本社長には最初は兄弟でお世話になり、兄貴が事務所を離れてからもずっと、僕がやりたいことを認めて応援してもらっています。細川さんは亡くなってしまいましたが、デビュー前から僕らを知る社長のもとで、ここまでやってこられました」

柏原収史 撮影/山田智絵