《玄奘(げんじょう)はプロデューサーであるつんく♂であり、西遊記の一行の孫悟空・猪八戒・沙悟浄は、シャ乱Qのはたけ・まこと・たいせいなのである》
これは、僧侶である稲田ズイキさんの著書『世界が仏教であふれだす』(集英社)からの一文。この文脈から、仏教が持つ難解なイメージが払しょくされ、興味がわいた人もいるのではないだろうか。
日本の歴史において、古くは飛鳥時代から名を残していた僧侶という存在。しかし、彼らを取り巻く環境はかつてとは変わってきているという。インタビュー第1回では、寺の住職の息子として生まれ、会社員経験を経て僧侶となる経緯を振り返ってもらったが、第2回では、稲田さんならではの視点が光る、現代カルチャーにおける仏教論を語ってもらった。
ミニマリストは初期仏教。なにごとも中道を目指せばいい
──稲田さんは、アイドルやアニメなど多彩な趣味をお持ちです。夢中になれるような趣味や、推しはどうしたら見つかるのでしょうか?
「推しはつくるのではないとよく言われます。自然と心の中に備わっていく。自然とそれを何度も反復して見てしまったり。例えば“好きなものを見つけられない”、“趣味がない”ってよく聞きますけど、無理やりつくろうとしないほうがいいって思いますね」
──自然と見つかるものなのでしょうか。
「普段過ごしている時間の中に、趣味がある。趣味で語られる枠じゃないから入れてないだけで、散歩するときにどうしても石ころを蹴とばす。それも趣味です。無理やり誰かがつくったカテゴリーから選ばなくていい。雑多であるのが大事なんです」
──最近は、ミニマリストやFIRE(早期リタイア)のような、煩悩を持たない思想も話題となっていますが……。
「ミニマリストのあり方は、めっちゃ初期仏教ぽいんですよ。釈迦と同じような暮らしをしてますよね。ひたすら自分の煩悩を捨てて、自分の苦しみがなくなる道を探す。でもその後に大乗仏教というムーブメントが生まれると、“煩悩は捨てられない”、“煩悩とうまく付き合う道を探したほうがいい”という考え方になっていく。自分だけではなく社会や他者と助け合いながら、ちょうどいい自分のあり方を見つけていく」
──ミニマリストの一方で、浪費を重ねるタイプの享楽的な生き方をする人もいます。
「釈迦って最初、苦行しまくるんですよ。1日米粒1粒、ごま1粒で過ごしてたりして、最終的に“ちょっと意味ないかも”って辞めて。それで、“ちょうどいい”を探すんですね。仏教で言う中道(ちゅうどう)。やりすぎる、やらなさすぎるから脱却してちょうど真ん中を行きましょうという思想です。ミニマリストでも、煩悩のままに生活する生き方でも、どんな生き方でもしんどくなってくる瞬間がある。決められたスタイルから離れて、“しんどい”という気持ちに正直になることが、中道のあり方なんだと思います」
──日常の中で、仏教的な視点を手に入れることが大事なのですね。
「そうです。異なるコンテキストやコンテンツの中から仏教をみる。すると、人はつねに仏教的な視点を手に入れられる。お経を読んでいるときや、お寺にいるときだけ仏教視点が手に入るってちょっともったいないじゃないですか」