白崎さんを案内したのは福島県浪江町出身の今野寿美雄さんだ。今野さんは震災前まで原発で働いていた。原発事故後は故郷を離れ、福島県福島市で暮らしている。浪江町の自宅周辺は放射線量が高く、学校など子どもを育てるための施設も少ない。断腸の思いで自宅を解体した。昨年2月、家がなくなって更地になった場所に白崎さんを案内した。それがきっかけとなり、『更地のうた』が生まれた。

「実際に案内してもらって、やっぱりテレビや新聞で伝わってくるのとは全然違う感覚でした。その、ハァァ……という言葉にならない気持ちが歌に変わっていったんですね」(白崎さん)

地元の人々の心に響く、白崎さんの力強い歌声

 今野さんはこの日のコンサートを最前列で聴いていた。

「やっぱり映美ちゃんのパワーと感性はすごい。俺らが原発事故で感じてきたことを歌で表現してくれる。自身も酒田大火で苦労した経験があるから、困っている人たちと思いを一緒にできるのかなあと思う」

全身を使ってパフォーマンスする白崎映美さん=5月7日、福島県飯舘村「交流センターふれ愛館」 牧内昇平撮影

♪カラダはここに ココロはどこに

見えないあなたに会いに♪

 ささやくようだった白崎さんの歌声は、曲のクライマックスに向けて力強さを帯びる。バンドメンバーの重厚な演奏とともに、その歌声がホールに満ちていく。

 白崎さんには福島で歌うことへの心配もあった。

「地震の前のことをね、みんながワイワイしていた商店街だったり、みんなが暮らしていた日常のことを歌ったりしているわけで、この歌を聴くことで逆につらい気持ちになる人もいるんじゃないかなとか、いろんなことを考えてしまうんですけれども……」

 白崎さんはそう語るが、歌い終わったあとに沸き起こったこの日いちばんの拍手が、観客にも歌のメッセージが届いたことを証明していた

 飯舘村在住の三瓶たつ子さんは、コンサートの感想をこう話した。

「白崎さんの歌声や表情はまるで童話の世界。同じ東北出身ですし、なつかしい気持ちになりました。元気をいただきました」

 飯舘村は原発事故後、苦難の日々を歩んできた。福島第一原発からは40キロ離れた内陸部に位置するが、風向きの影響で放射性物質の通り道になってしまった。村全域が計画的避難区域に指定された。いわゆる「全村避難」だった。今も避難指示が解除されない地域が残っている。