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毎回、宝塚歌劇団OGの方にご登場いただき、次の方を指名制によるリレー形式でつないでいくこの連載。
現役時代の秘話や、人生における悲喜こもごも、現在、そして未来への展望などをたっぷり伺い、人気スターの“生の声”をお届けします!

ドラマ・映画・舞台

和央ようかさん「千秋楽はほぼ意識がなかった」、宝塚・宙組退団公演の舞台裏と作曲家の夫との“関係性”を明かす

SNSでの感想
和央ようかさん。ひとつひとつの所作がどれも美しく、取材陣もすっかりトリコに! 撮影/廣瀬靖士
目次
  • 大けがに見舞われ意識を失いそうな引退公演も「ファンのおかげで完走できた」
  • 夫・フランクは「音楽の師であり、ベストフレンドでもある。彼の作品も大好き」
  • 元宙組の“ジャンボトリオ”が再集結!「当時から笑いが絶えない3人組でした」

 宝塚歌劇団OGの輪をつないで、リレー形式で人気スターの現在を紹介する連載「宝塚歌劇団 華麗なるOGリレーサロン」がスタート!

 記念すべき第1回目は、2006年に退団してから女優として活躍中の元宙組トップ・和央ようかさんにご登場いただきました。'15年には、自身の退団公演となった演目『NEVER SAY GOODBYE』の音楽を担当し、『ジキル&ハイド』をはじめブロードウェイ・ミュージカルのヒット作などを数多く手がける世界的な作曲家、フランク・ワイルドホーン氏と結婚、現在はハワイに住んで日本と行き来しながら活動を続けています。

 インタビュー第1弾では、2022年7月に行われたコンサートの選曲にまつわるエピソードや、ハワイでの生活について伺いました(記事→元宝塚の宙組トップ・和央ようかさんが語るパンデミック以後の日々「NYへ戻れず、そのままハワイに住むことに」)。第2弾では宝塚現役時代の思い出や、夫・フランクさんへの思いを語っていただきます!

和央ようか(わお・ようか)

 元宝塚歌劇団宙組トップスター。'00年宙組トップ就任。'04年『ファントム』にて主演を演じ、圧倒的な人気とパフォーマンスで大絶賛を浴びる。'03年シアター・ドラマシティ公演『BOXMAN』では菊田一夫演劇賞を受賞。'06年退団、平成以降最長トップスター在位。
 退団後は映画『茶々―天涯の貴妃―』(おおさかシネマフェスティバル主演女優賞受賞)、ミュージカル『ドラキュラ』などで主演。 '15年、作曲家フランク・ワイルドホーン氏と結婚。結婚後は米国に移住するも日本と行き来して国内外で精力的に活動を続けている。
 '22年9/9よりシアタードラマシティ30周年記念コンサート出演、同11/17~20 CAN’T STOP DANCON’2022ゲスト出演、'23 3/3より宙組25周年スペシャルコンサート「明日へのエナジー」出演が決定している。


◇   ◇   ◇ 

大けがに見舞われ意識を失いそうな引退公演も「ファンのおかげで完走できた」

 2000年、宙組トップになり、その後6年にわたってトップをさせていただいたなかで、『カステル・ミラージュ』『ファントム』など好きな主演作品は多々ありますが、なんといっても退団公演だった『NEVER SAY GOODBYE -ある愛の軌跡-』には特別な思い入れがあります。曲を担当した夫、フランク・ワイルドホーンと結びつけてくれた大切な作品です。

 世界中で舞台の仕事をしているフランクですが、この作品以来、宝塚との仕事をいくつもするようになり、彼にとっても宝塚は特別な存在となりましたフランクがクリエイターとしてかかわることにより、退団してからも宝塚を身近に感じられることに幸せを抱いています。作る側に立ち会う機会をいただけることもありがたいし、卒業してから劇団を客観的に見ることができて、在団中、いかにぜいたくをさせていただいたかと思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。

和央さんは「宝塚での日々は私の宝物です」と力強く語る 撮影/廣瀬靖士

 そもそも、私の退団公演は、休まず完走できたことが奇跡でした。退団公演前の公演『W-WING-』の上演中に、フライングの装置が外れ落下して、骨盤骨折という大けがを負い入院。踊って歌いながら芝居するなんてとても無理、という状態のまま退団公演が刻々と迫っていました。稽古初日が近づいても、立つこともできない、動くこともできない、舞台に立つことは不可能と諦めモードでした。

 正直、自分としては宝塚人生に悔いがなかったので、そのままスッといなくなってもいいかな、と考えていたんです。ところが、劇団には、毎日のように半端ない数の励ましのお手紙が届いていました。「私には後悔がなくても、ファンのみなさまは、和央ようかの最後の舞台を観ないことには終わらないんだろうな」と、考えを改めました。私を支えてくださったみなさまへの最後のお礼をしなければいけない。ファンの方々のおかげでトップを務めさせていただけたのだから、逃げるわけにはいかない。

 公演がスタートしてからは、「今日、生きて帰れるのか」というくらい、体調は最悪の日々でした。ファンのみなさまも、「今日は休演になるのではないか」と毎日、私が舞台に出てくるまで不安な思いで待っていてくださっていました。

 劇場の楽屋口を出たところから、まともに歩けない私を支えるようにファンの方が一緒に歩いてくださったことなど、みなさまの応援がたいへん心強く、今でもひとりひとりにお礼をしたい思いがあふれています。常にファンと向かい合って、「私たち、ひとつだよね」という気持ちだけは、ファンのみなさまに対して示していたつもりです。

毎日、命がけの日々だったという 撮影/廣瀬靖士

 骨盤が折れていますから、もちろん常に激痛に耐えていたわけですが、実は大変なことはそれだけではありませんでした。交感神経と副交感神経のバランスが取れなくなる脳脊髄液減少症を発症していたんです。舞台の最中に、調子がいいなと思っていたら次の瞬間に、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりして、バランスを失いながらかろうじて立っているような危険な状態でした。いままで何回も歩いてきて慣れきっている銀橋(エプロンステージ)でしたが、バランスを失って、「この先どうしても前に進めない」と急きょ、その場で壁にもたれかかって歌ったこともありました。

 痛みも耐え難いものでしたが、それ以上に、この突発的に起こるバランスの崩れにより、舞台上で目や耳が機能しなくなることが怖かった。宝塚大劇場での千秋楽は、ほとんど意識がなかったぐらいです。それでも最後まで休演せずに全公演をやりとげられたのは、ファンの方のおかげです。今も心から感謝しています。

「苦しむこともありましたが、ファンの方々の応援に支えられて乗り切れました」と和央さん 撮影/廣瀬靖士
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