「正直言うと、その時期の記憶がほぼないんです。私含め、AKB48のメンバーは、グループを卒業してから周りの方に“いろんなことを達観してるよね”と言われることが多くて。それは、総選挙でグループ内での順位がつく、握手会の列の長さで自分の人気が可視化される、とにかく時間がない中で歌やダンスを覚えるなど、多感な時期にけっこう酷なことを経験してきたからかなと。10代のころからこの世界の厳しさを知ることができたのは、いま振り返れば感謝でもあり、試練でもありました」
2006年から2013年まで、アイドルグループ・AKB48のメンバーとして活動していた秋元才加さん(34)は、当時をこう回顧する。現在は俳優として、ドラマや映画、舞台などで精力的に活動を続けており、'22年11月7日からスタートする、三谷幸喜作・演出の舞台『ショウ・マスト・ゴー・オン』にも出演予定だ。
'22年10月1日に、所属事務所との専属契約を終了したことを発表し、新たな環境でスタートを切ったばかり。その際に、《自分なりの仕事の在り方を、ゆっくりと見つけていきたいと思っています》というコメントを残した。
インタビュー第2弾となる今回は、AKB48でチームKのキャプテンを務めていた当時の思い、抱えていたコンプレックスをはじめ、グループ卒業後の今だからこそ語れる話を、たっぷりと伺った。(作品にも多数出演している三谷幸喜さんとのエピソードや、共演した中井貴一さんからのひと言、演じるうえで大切にされていることについては、第1弾で語っていただいた→秋元才加、三谷幸喜作品への連続出演で実感していることと、中井貴一からの「今でも忘れられない言葉」)
自分のことを、自分以上にファンが信じてくれた『総選挙』で意識が変わった
“強く、気高く、美しく”。このキャッチフレーズを貫いた7年間のアイドル生活の中でも、'09年に第1回が開催された『AKB48選抜総選挙』は大きな出来事だったという。
グループの代名詞ともいえる、この『AKB48選抜総選挙』は、上位7位までに入ったメンバーが「神7」と呼ばれ、上位12位までのメンバーは、メディア選抜としてテレビや雑誌などに優先的に出演。そして上位21名までが、シングル表題曲を歌えるといった仕組みだ(第4回以降は上位16位までが選抜メンバーに)。
「当時は、“おそらく20位までには入れるだろうけど、メディア選抜はちょっと厳しいだろうな”という気持ちがありました。期待してしまうと、入れなかったときにすごく落ち込んでしまうから、自分に対しての予防線を張っていたのかもしれません。でも実際、結果は12位。投票が始まってすぐの速報では22位だったのに、ファンの方々が私を押し上げてくれたんです。“自分の可能性を自分で定めちゃいけない”、そう思った瞬間でした」
自身を「リアリスト」だと分析する秋元さんは、第1回総選挙が開催されていた裏で考えていたことを、こう話す。
「グループよりも個人でのお仕事が増えている時期だったので、ほかのメンバーより世間的には名前を知られているけれど、グループ内での人気は落ちているよね、って思われていたんじゃないかなと。AKB48ファンの方とそれ以外の方とで、私の見え方が違っていただろうなというのは、すごく感じていたんです。
でも、のちのちグループを卒業して個人で活動していくわけだし、今から“秋元才加”としてのタレント性を高めていかなきゃ、という意識が常にあって。私はもともと芸能界への登竜門として、いろいろなことを学ぶためにAKB48に入ったので、デビュー当時から、いずれ個人で活動するという自分の未来像を描いていたんです。きっと私以外にも、そう考えていたメンバーは多かったと思います。
とはいえ、当時は20代そこそこだったので、メンタルが不安定になったり、卑屈になったり。それがコンサートなどでも表に出てしまいやすいタイプだったので、ファンの方にはすごく迷惑や心配をおかけしただろうという自覚もありました。そんな中、12位という順位にしてくれたファンの方々の心意気に、ハッとさせられて」