周囲に支えられキャプテンを全うするも、ストイックという印象はコンプレックス
総選挙後のコンサートでは、チームKのキャプテンになることが発表され、'10年から就任。
「キャプテンって、人より秀でている、まとめる力があるっていうイメージがありませんか? だから正直、キャプテンに任命されたときは、めちゃめちゃ嫌だったんです。自分に対して、仕事はちゃんとするけれど、それ以外はできない、だらしない人間だと思っていたので。ただでさえ、仕事に行くだけでも気を張っていたのに、キャプテンという役職が乗っかってしまったら、ほかの子より早く練習しなきゃいけない、遅刻しちゃいけない……。“もっともっと頑張らなきゃ”って、ストレスに感じてしまっていたんですよね」
当時の活動は多忙を極め、睡眠時間の短さを栄養ドリンクを流し込んでごまかそうとするも、身体に限界が来ていたのか、視界がフッと消えかかることもあったそうだ。その状態下で、何事にもまじめに取り組む秋元さんが、キャプテンの重圧を憂うのも無理はない。そんな中、思い悩む秋元さんを特に支えてくれたのが、同じ2期生のメンバーで、チームKとして活動していた2人の存在。
「宮澤佐江ちゃんと大島優子ちゃんですね。“才加はただそこに立って、キャプテンっぽい顔をしてくれればいいから”って、明るく言ってくれたんです。私の顔が“キャプテン顔”なんでしょうね。いろんな番組に出演させていただくたびに、いつも“君が(AKB48の)リーダー?”と言われていたので(笑)。でも、2人のその言葉で気が楽になったし、何でも自分だけで抱え込まず、人に任せるところも作っていいんだと思えて」
それからは、メンバー全員と協力し合いながら、自分らしいキャプテンをしっかりと務め上げた。ただ、「キャプテンだからしっかりしている、ストイックだ」と思われがちであることについては、コンプレックスだったと明かす。
「ストイックだと言っていただけると、すごくいいとらえ方をしていただけてるなと思う反面、“私には後がなかったからこうなってしまっただけ”という気持ちにもなってしまうんです。
私がAKB48に加入する時期に、母親が無職になってしまって。もともと父親は専業主夫だったので、“どうにか私が芸能界で爪あとを残して、生き残っていくしかない”という思いが強かったんです。もし、芸能界でうまくいかないから転職するとなっても、私は高卒で、手に職を持っているわけでもない。外に出たら何もできないなって。だから、“どうにかしなきゃいけない”という思いが、人一倍あった。それがみなさんの目に、ストイックだと映っていたのかもしれませんね」
強い覚悟で活動を続けた秋元さんは、気の許せる仲間と応援してくれるファンに囲まれて、'13年にグループを卒業。今でも、いちばんうれしかった思い出、自分のモチベーションにつながっている記憶として、「卒業コンサートで、緑のサイリウムが客席一面に広がった景色」を挙げる(緑はチームKのチームカラー)。