ウッチャンナンチャンや爆笑問題、オードリー。若手芸人の登竜門

──ラママといえば、若手芸人の育成の場として『ラ・ママ新人コント大会』(1986年スタート、現在も継続)も有名ですが、このイベントはどうして始められたのですか?

ある日、ラママの前にいかつい風貌の男性が立っていたんですよ。その男性から“あなたがはたのさん?”って声をかけられた。彼は石井光三オフィスの社長(故・石井光三さん。タレントとしてテレビなどにも出演していた)だった。石井社長が、“コント赤信号(メンバーは渡辺正行、ラサール石井、小宮孝泰)がストリップ劇場に出ているけれど、きちんと芸を見てもらえないから、出られる箱を探している”って言うんだよね。そこで彼らが出られるようにと、毎月1回イベントを組んだんです。コント・レオナルド(故・レオナルド熊さんと石倉三郎のコンビ)やコント赤信号、ダチョウ倶楽部が出ていたのだけれど、それが『ラ・ママ新人コント大会』の原型となるイベントの始まりだね

──そこから無名の芸人が出演する『新人コント大会』にどのようにしてシフトチェンジしていくのですか?

「月1回のペースで1年半くらい続けて、石井社長が“ネタが尽きちゃった”って言うんだよね。そこでナベさん(渡辺正行)が、“せっかくやってきたのだから、私に任せてくれ”って言って始めたんだよね。ナベさんが司会をして、若手芸人が事務所の垣根を超えてフリーに出演するようになった。これが今の新人コント大会の大きな流れを作ったと思います

「ラ・ママ新人コント大会」に出演したたくさんの芸人たちの写真が貼られている 撮影/伊藤和幸

──入れ替わりの激しいお笑い界で、イベントが長く続いている理由は何だと思いますか?

「ナベさんがね、30年以上ほとんど休まなかったんだよね。芝居があるときだけ休んで、代わりに爆笑問題が司会を務めたりしたけれど、基本的には現在までずっと続けている。僕からは演者にアドバイスをしたことはない。下手にアドバイスをして枠にはまるよりも、自由にやってもらいたいって思っているからね」

──自由な空間といえば、バーカウンターのメニューにソフトクリームがあるのは珍しいですよね。

あれは、言い出しっぺはHEESEY(ヒーセ/廣瀬洋一。THE YELLOW MONKEYのベーシスト)。彼がアイスクリームがあったほうがいいって言ったからかな。僕もね、なんでライブハウスに冷たい食べものがないんだろうって思っていたんだよね。だってさ、ライブハウスって暑いでしょ。誰か一人が食べ始めると、みんな欲しがるし(笑)」

バーカウンターではソフトクリームも販売 撮影/伊藤和幸

──ラママの40周年の歴史の中で、つらかったことはありましたか?

「最近のコロナ禍はね、つらいけどどうしようもできないよね。ラママのスタッフは全部で11人くらい。東京都の最低賃金の時給も上がったし、経営的には大変なんだけれど……でもこれを乗り越えたらあとはもうツイていると思うんです。40周年のイベントは、できるなら来年やりたい」

──演者たちにとって、ラママはどんな場所だと思いますか?

歴史があるぶん、アマチュアから見たら敷居が高くなってしまった感じがするね。でもまた昔のような雰囲気に戻して、プラスの部分を残しながら他のライブハウスとはまったく違う場所にしたいですね。

 僕が子どものころ、クリスマスに買ってもらった絵本に、たくさんの羊がばーって空を飛んでいる銅版画があったんです。子ども心に“羊が飛ぶわけがない”ってわかるんだけれど、“もしも夢と思いがあれば、羊だって飛ぶことができる”って感じて。僕はそれを『夢翔』って名付けました。夢を持っていれば、羽が生えて飛べるよって

困難に見舞われても、ラママを守り続けたはたのさん。夢を見る楽しさ、大切さを語ってくれました 撮影/伊藤和幸

──素敵な言葉ですね。

「あとはもうケセラセラ。躊躇(ちゅうちょ)しないでやり切って、結果がどうであろうとケセラセラの精神だよね

(取材・文/池守りぜね)

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