好きじゃないとカメラを持つ手が動かない。こだわりのキャスティング
──大学は日本大学芸術学部を卒業されていますが、映画学科を専攻されていたのですか?
「実は高校が日芸付属の美術学科だったので、日芸の映画学科を受けるか迷いました。でも監督術を学ぶよりも、美術を常に基本にしておこうと思ったので、やはり美術学科に進みました」
──そこが、塚本監督の作品内の美術にもつながっていくのですね。大学を卒業されてからは、どのように映像の道に進まれたのでしょうか。
「大学卒業後にCM制作の会社に入りました。それと同時に演劇もやっていたのですが、そのころ、周りから“すげぇ面白い俳優さんがいる”といって紹介されたのが田口トモロヲさんだった。田口さんの独特の動きを見てカッコいいなって思って、映画への出演につながっていきました」
──塚本作品の俳優さんは、みなさん独自の存在感を放っていますが、キャスティングのこだわりはありますか?
「キャスティングには、こだわりが強いですね。やっぱり好きな人じゃないと、カメラを撮っている手も動かないというか。プロデューサーからお話をいただくときも、自分が興味のある方じゃない場合だと、“キャストは自分に決めさせてください”って伝えています。その前提じゃないと撮れないんですよ」
──出演される俳優さんたちも、力が入りますね。
「それまで一緒に仕事をしたいと思っていた方や、やっぱり独特の存在感のある方にお願いしていますね」
──商業映画でも、キャスティングを担当されていたのですか?
「初のメジャー映画『ヒルコ/妖怪ハンター』(1991年公開)でも自分でプロデューサーに提案させていただきました。『双生児』(1999年公開)は主演の本木さん(本木雅弘)ありきの企画だったけれど、僕も好きな俳優さんだったんです。それ以外の豪華キャストは全て自分で決めさせていただきました。今思うとびっくりするような方々ばかりです」
店舗でのゲリラ撮影や街中での発砲、警察に捕まったことも……
──『鉄男II BODY HAMMER』(1992年公開)の撮影では、実際に営業中の店舗でゲリラ撮影をして大変な騒ぎになったと聞きますが……。
「『鉄男』を作ったときに、許可を取ればいい場所も全部、無許可で撮影したので、非常に反省したんです(笑)。『鉄男II〜』は、基本的にはちゃんと許可を取っているんです。でも許可が取れないところで、どうしても雰囲気がよくて撮りたいっていう場所があった。あんまり乱暴なことはしたくなかったけれど、誘拐シーン(注:劇中で田口トモロヲさん演じる男性の子どもが、謎の男に誘拐される)は、本物の誘拐だと思うようなリアルなシーンが撮りたくてゲリラ撮影をしました」
──どのように撮影されたのですか?
「本番は1回しかできないので、“君はここにいて、こう動いて”っていうかなり緻密な作戦を立てたんです。リハーサル場所の床を実際の撮影現場とまったく同じ尺になるようにバミって(役者の立ち位置や小道具の置き場所に印をつけること)、本番と同じように全部シミュレーションし尽くしました」
──映像からも、そのスリリングな様子は伝わってきます。
「『スクーピック』というカメラを3台用意して、いろいろな方向から撮影する。もし見つかっても大丈夫なように、カメラは本番前まで手に握ったまま紙袋に入れていたんです。きちんと時計も正確な時刻に合わせて、“何時何分ジャストになったら僕が手を挙げるから、そこから撮影を始めて”って入念な打ち合わせをしたんですけれど……。いざ本番ってなったら、1人だけこっちを見ていないスタッフがいるんですよ(笑)。“やるよ~”ってだんだんその人のそばにたどり着いて、肩にポンって手をやって“やるよ”って伝えて、またスタンバイ場所に戻ったんです」
──緊迫感が伝わってきますね。
「ちょっと腰くだけな気持ちに戻って、さあ始めるってなった。カメラを店員の人に取られそうになったときのために、アメフトのパスのようにカメラを受け取る係も準備していたんです。僕ともう1人は受け取り係をつけていたんですが、ちょうど受け取り係のいない彼が店員さんに捕まってしまったんです。店員がみんな彼のもとに集まっていて、“文字どおり袋叩きってこのことか……”って思うような……(笑)。僕が“塚本だよ、パス、パス!”って横から言ったんですが、捕まった彼が僕だと気づかず、目をつぶったまま絶対にカメラを放さなかったんです。結局、そのカメラのフィルムは抜かれてしまった。今、申し訳ないことをしたなとよく彼のことを思い出します」