俳優業でも活躍。役作りのため、体重を40キロ台まで落としたことも

──映画製作でつらかったことってありますか?

「いろいろありますが、結果映画ができあがっているので文句は言えないです。自分の至らなさで、自分で自分の首を締めているということもありますからね。わかりやすく大変だった作品はというと、『双生児』。僕のやり方は身内のスタッフと半年くらいかけてじっくり撮影するスタイルだったけれど、この作品は1か月で撮らなきゃならなかった。そんな中、旅館での撮影中にアデノウイルスが流行って、みんな次々倒れて行ったんです。初日の時点でもう助監督もいなかったくらいで。僕は気をつけていたけれど、“今、ウイルスが身体に入ったぞ!”みたいな瞬間があって(笑)。でも撮影を止めるわけにはいかないので、ファインダーを覗(のぞ)くふりをしながら、カメラに頭を乗せて休んでいました」

『野火』(c)2014 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER ALL ROGHTS RESERVED

──(笑)そうなのですね。日本兵を演じられた『野火』の撮影が大変だったのではと思ったのですが。

「『野火』はスタッフもキャストとして出てもらうつもりだったので、初めは男性スタッフだけ募集したんです。戦争の映画だったのでみんな痩せなきゃいけなかったので、“痩せられる人だけ来てください”っていう条件を出しました(笑)」

──塚本さん自身は、何キロ痩せましたか?

「60キロを55.5キロくらいにすると『鉄男II〜』のころの体重になるので、それを目標としていました。『野火』はそれよりも痩せたので53キロくらいですかね。でも極限的に痩せるところは、そのシーンを思うだけで自然と落ちていったんです」

──役作りのためにしては、かなり絞られていると思いますが大変じゃなかったですか。

『沈黙ーサイレンスー』(2016年公開、マーティン・スコセッシ監督)に出演したときは40キロ台まで落としました。プロの栄養士の人がついて指導してもらったんです。栄養士の人曰く、危険な領域、ということでした

──監督業の印象が強かったので、俳優業にも専念されていたのは意外でした。

僕ね、(俳優業も)結構いっぱいやっているんですよ(笑)。『フルスイング』(2008年放送・NHK)で片言の英語教師役を演じたのを観た映画のプロデューサーから、スコセッシ監督の映画のオーディションの連絡が来たんです。スコセッシ監督は今ご存命の監督の中でいちばん尊敬する監督なので、会うだけでも会ってみたいって思って“ぜひ行きたいです”って返事をしたんです

──オーディションの手ごたえはどうでしたか?

これ以上は望めないと思うくらいのいい経験ができた。でも受かったという知らせを受けてから、撮影に入るまで5年以上の歳月がかかりました。途中でキャストも変わってしまうかもと思って、危機感を抱いては、ときどき向こうにアピールをしながら待っていましたね(笑)」

塚本晋也監督 撮影/佐藤靖彦

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 映画作りにかける情熱が伝わってくる塚本監督へのインタビュー後編では、2022年に撮影された新作映画について、ミニシアターへの思いなどをお聞きします。

(取材・文/池守りぜね)

〈PROFILE〉
塚本晋也(つかもと・しんや)
1960年1月1日、東京・渋谷生まれ。14歳で初めて8ミリカメラを手にする。'88年『電柱小僧の冒険』でPFFグランプリ受賞。'89年『鉄男』で劇場映画デビューと同時に、ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞。主な作品に、『東京フィスト』『バレット・バレエ』『双生児』『六月の蛇』『ヴィタール』『悪夢探偵』『KOTOKO』『野火』など。製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などすべてに関与して作りあげる作品は、国内、海外で数多くの賞を受賞。北野武監督作『HANA-BI』がグランプリを受賞した'97年にはベネチア映画祭で審査員をつとめ、'19年にも3度目の審査員としてベネチア映画祭に参加している。俳優としても活躍。監督作のほとんどに出演するほか、他監督の作品にも多く出演。『とらばいゆ』『クロエ』『溺れる人』『殺し屋1』で'02年毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。『野火』で'15年、同コンクールで男優主演賞を受賞。その他に庵野秀明『シン・ゴジラ』、マーティン・スコセッシ監督『沈黙ーサイレンスー』など。ほか、ナレーターとしての仕事も多い。