メインストリームのメディアでは、なかなか報道されないアンダーグラウンドの社会。暴力団、マフィア、ドラッグなど、犯罪の香りがしてちょっと怖いけど、つい気になってのぞいちゃう。パッと見は目を背けたくなるけど、実はみんな大好き。アングラには不思議な魅力がある。
そんな界隈に果敢に飛び込んでは、記事・マンガにして発表し続けているのが村田らむさんだ。なかでもホームレスの取材歴は20年を超える。今回そんな村田さんにロングインタビューを実施。裏モノ系ライターとして活動し始めたきっかけや、日雇い労働者取材での壮絶な思い出などを聞いた。
「ライター経験なしでも食える道」を探した結果、ホームレスのルポを選んだ
──村田らむさんは、これまで数十年にわたって、ルポライターとして取材をしています。暴走族に入隊したり、青木ヶ原樹海(※)に入ったり、韓国のスラム街に潜入したりと、危険なお仕事ですが、なぜ活動を始めたんですか?
※青木ヶ原樹海:いわゆる“富士の樹海”と呼ばれる場所。“自殺の名所”“未踏の地”といったイメージが強く、ホラーじみた噂が絶えない。
「よく勘違いされるんですが、もともとアンダーグラウンドの世界に興味があったわけじゃないんですよ。仕事を求めた結果、自然とそうなった……という感じです(笑)。
デザイン系の大学を卒業してフリーのイラストレーターとして上京したんですが、当時はイラストだけだと月10万円くらいしか稼げなかった。それで“チャンスがあればライターの仕事もしたいな”と思っていました」
──なるほど。「世の中の闇を暴くぞ」という熱い思いでライターを目指したわけではないんですね。
「そうですね。今でも私自身、ジャーナリストのような感覚はありません。
それで25、26歳くらいのときかなぁ、2社の日刊紙でイラストを描かせてもらえるようになったんですよ。1記事1万5000円で、月50万円くらい稼いでました。4か月で200万~300万円くらいが手元に入ってきて生活がちょっと楽になったんですよね」
──日刊紙のころはアンダーグラウンドの分野ではなかったんですよね。
「そうですね。ただ将来のことも考えて“キャリアのない自分がライターでお金を稼ぐためには差別化が必須だ”と常々思っていましたね。
それで、当時イラストレーターとして仕事をもらっていたデータハウス社のムック(※)で、ルポライターとしてホームレスに取材をすることになりました」
※MagazineとBookを混ぜた和製英語で、雑誌と書籍それぞれの性格をもつ出版物のこと。
──対象にホームレスを選んだきっかけはあるんですか?
「そのとき東京に遊びに来ていた母親と一緒に、上野恩賜公園を散歩していたんですよ。90年代後半の時期には数百人のホームレスが住んでいて、素直に驚きました。“この人たちの生活を記事にしたら読んでもらえるんじゃないか”と思ったのがきっかけです。
でも根底にはさっきの“差別化”の意識はありました。要するにホームレスは他のライターが扱っていない分野だったんですよね」
──なるほど。もともとデータハウスさんとお仕事をしていたのも大きく影響していますよね。データハウスさんは『危ない1号(※)』をはじめ、いわゆるアングラ系の本を作っているイメージがあります。
※1995年7月に第一巻が発売され、90年代後半のサブカルチャーブームを牽引したサブカルオタクの間では伝説的なムック。平山夢明、根本敬、町山智浩、吉田豪、ねこぢるなどのそうそうたるメンツが寄稿した。
「そうですね。でも“裏モノ系やりたいからデータハウスに持ち込んだ”というわけじゃないんです。仕事が欲しくていろんなところにイラストを持ち込んだ中で、使ってくれたのがデータハウスだった、という感じでした。
当時は『危ない28号』というムックが問題になって廃刊になったんですよ。ハッキングのやり方とか危ないことばっかり書いていたんでね。それで新しく『いやらしい2号』というムックを作ろうとしていました。
その内容が決まってなかったので“ホームレスのことを書かせてほしい”とお願いしたんです。イチから取材して1本の記事を書き切ったのは、これが初めてです」
──なるほど……。大きな目的としては「ライターとして稼げるようになること」で、差別化としてホームレスを題材に選び、ちょうどよくデータハウス社と関係があった……。おもしろい巡り合わせですよね。
「そうそう。『いやらしい2号』はサブカル系だし新刊だし、ルポライターの経験がなくても書かせてもらえるくらいハードルが低かった。他のメディアだったら絶対ダメでしたよ。だから最初は取材の経験もないままホームレスにインタビューしたんです(笑)」