書籍が廃刊を余儀なくされて逆に名前が売れた

──そこから本格的にホームレスの方に取材をしていくわけですね。

「そう。『いやらしい2号』は結局2巻で終わったんですが、当時のデータハウスの社長がホームレスの本を作りたがっていたんですよね。

 そのとき、仕事はないけど貯金はあったんで、半年かけて取材して本にしよう、と。それで1999年くらいから東名阪のホームレスが多いエリアを回りました。最初はまったく界隈のことを知らなかったので、名古屋のホームレスの方から逆に西成(大阪市西成区の“あいりん地区”)の存在を教えてもらったりね(笑)。西成の日雇い労働者をフランクな形で紹介したのは、そのとき書いた私の本が初めてだと思います。

 ちなみに2000年代の西成は生活保護受給者と日雇い労働者が半々になりましたが、今は生活保護と外国人観光客の街になっています。時代とともに変わりつつある町ですね

──なるほど。本は無事に刊行できたんですか?

「はい。約2年かけて取材・執筆して刊行したんですが、労働組合から怒られてすぐ絶版になっちゃったんですよ。新聞でもボロクソに酷評されて、このときは“もうライターとしては終わったな”と思いました

──名前が出ているし、ルポライター的にはつらいです。

「でも、そのあとダメ元で3社に企画を持ち込んだら全部採用してもらえたんですよ。今でいう炎上系みたいな感じで、逆に名前が売れたんですよね。

 逆にいうと、仕事をもらえるので裏モノ系のルポライターを続けざるをえなくなったというか(笑)。それで引き続き、ホームレスの記事を書かせてもらえるようになって、気づけば20年以上になります