印象に残っているのは「西成の焼き鳥屋」

──約20年で印象に残っている取材はありますか?

2001年に潜入取材した“西成の焼き鳥屋”はよく覚えています。もともと“西成の日雇い労働者の日常を体験しよう”みたいな企画でした。日雇い労働をしてそのお金で地元の居酒屋で飲んで風俗店で遊んで帰ろう、みたいな。

 でも、いざ行くとまず日雇い労働の募集が少なくて働けない。どうしようかな~と思っていたら、偶然“焼き鳥屋 店員募集”という張り紙を見つけて、電話してみたんです。

 それで告げられた住所に行くと、ちゃんと焼き鳥屋の店舗なんですね。そこで待っていたらちょっと怖い感じのおじさんが来て“おう、働かせたるわ”と(笑)。3段ベッドが2つだけ置いてある部屋に案内されて“家ないんやろ? この寮で寝たらええわ”って言われたんですけど、部屋にその……『〇〇組』って書いてあるんですよ

──こわっ。そういう団体が束ねている焼き鳥屋さんだったんですね。

「そう。隠す気もなかったですね(笑)。その部屋が異様で“稼ぐぞ! 稼ぐぞ!”とか“世の中金だ!”とか“100万円稼げ!”って、壁一面にびっしり書かれてるんですよ。

 後からわかったんですけど、要するに寮生活している日雇い労働者にプレッシャーを与えるために仕切っているヤクザが書いているんですね」

──なかなか異様ですね(笑)。どんな仕事だったんですか?

「てっきり“工場とかで焼き鳥作るのかなぁ”と思っていたら“自分で屋台を引っ張って売ってこい”って(笑)。あ、これはめちゃくちゃ大変だなぁ、と直感しました。

 勝手に屋台を引くのはもちろん違法なんですけど、2000年当時の大阪はそのあたりが緩かったんですよ。駅内に勝手にホルモン屋さん作って20年営業してたとか、人気のたこ焼き屋が実は自動販売機の電気パクってたとかね(笑)」

──がっつり違法だけど市民に愛されているのが人情を感じておもしろい(笑)。

「今は絶対できないですけどね(笑)。それで屋台を引くようになるんですけど、案の定キツかった。まず朝5時に起こされて、7時くらいまで凍った砂肝をさばく。そのあと15時くらいまで8時間かけて具材を袋詰めにして各屋台に配分するんですね」

──すでに10時間。一般的な仕事だったら残業が発生しています(笑)。

ここから本番ですからね(笑)。“なくなるまで売ってこい!”とヤクザに言われて出発するんですけど、焼き方すら習ってないし全然売れない。怒られるのが怖くて帰れないんですよ。なんとか売り切って寮に戻ったら深夜1時で、シャワーを浴びて寝るのが2時です。3時間後には起こされて凍った砂肝をさばいてる、みたいな(笑)

──ヤバいですね。世の中のブラック企業が引くレベルです。

“疲れすぎて焼き台に倒れ込んで顔を火傷してリタイアした”という話も聞きましたね。そのうえ寮内でも、ヤクザが僕らに見えるように部下を殴りつけたりするんですよ。要するに“こうなりたくなかったら死ぬ気で売ってこい”っていうメッセージですよね」

──ちょっともう北野映画を見ているような感覚です。でも企画の途中で、村田さんはどうやって辞めたんですか?

「当然、ヤクザなので普通には辞められない。飛ぶしかないわけですよ。“そろそろ逃げよう”と思っていたら、25歳くらいの同僚が察して“俺も一緒に逃げたいから東京までの旅費を出してくれ”と(笑)。そいつと一緒に深夜バスで東京に帰ることにしました

 深夜に財布とカメラだけ持って外に出たんですけど、当日はもう心臓バクバクですよ。バレたらどうなるかわからないですからね」

──他の荷物は置いていったんですね。

「最低限の荷物だけだったら、もし途中で見つかっても“ちょっとコンビニまで行っていた”という言い訳ができますからね」

──めちゃめちゃリアルです……。

「そう。ベタに洋服を掛け布団の下に入れて"寝ている風"を装ってね。それで外に出たんですけど、あのときは怖かったです。気づいたらふたりとも夜道を走り出してましたね。恐怖で脳がパニックを起こしたのか、大笑いしながら走ってました

 それで朝方まで駅に身を潜めて、東京行きの夜行バスに飛び乗ったときは本当にホッとしましたけど、道中、僕らが逃げたことで叱られる班長の悪夢を見ましたね

──すごいドラマですね……。ちなみに、ついてきちゃったその子はどうなったんですか?

「数年間は交流していたんですけど、ドラッグを売ってるとか、外国の窃盗団と仕事をしてるとか、あんまりいい噂は聞かなかったですね……。それである日ぱったり電話がなくなって10年以上連絡が取れないので……。まぁ、そういうことなのかな」