ライオンとのスキンシップで指を失う

 最後は、畑さんが、とある番組で南米の動物保護施設を訪問したときの、ニュースにもなったアクシデントです。

 畑さんは、保護施設のライオンに右手中指の第1関節から上を、ライオンに食いちぎられてしまったのです。

 畑さんは、それまでに何度もライオンとスキンシップを取った経験があります。ライオンの口の中に手を入れて指をなめさせたり、首や肩を甘がみされたりするなど、慣れたもの。しかし、このときは、別れ際に一瞬のスキがありました。

 このライオンは、畑さんと遊ぶうちに、どうやら畑さんのことが大好きになってしまったのです。

 最後の別れをしようと、金網に手をかけていた指が、少しだけ網の中に入っていたのがよくなかった。畑さんとの別れを惜しむように、ライオンがその指を甘がみしたように見えた次の瞬間、表情を硬くする畑さん。

 かまれたほうの右手を左手でかばいながら、くるりと背を向けて、無言のまま、その場をあとにしました。このほんの一瞬の出来事で、畑さんは指をかみ切られてしまったのです。

 私が何よりも驚いたのは、後日に畑さんが取った行動です。

 自分の指をかみ切ってしまったライオンを再び訪ねた畑さんは、笑顔でライオンの名前を呼びます。しかし、昨日まで畑さんに懐いていたライオンは、尻尾と首を垂れて、明らかに元気がなく、畑さんに名前を呼ばれても、寄ってきません。

 その様子を見た畑さんはこう言ったのです。

「悪いことをしてしまったって、ちゃんとわかっているんですねぇ。ライオンにしてみれば、せっかく遊んでもらっていたのに、僕が去って行ってしまうと思って、引き留めようとしたんでしょう。犬でもよくあること」

 そして、「自分の不注意だから、絶対にライオンを処置しないでください」と、このライオンに同情し、かばったのでした。

 指をかみ切られたというのに、静かにその場を去り、後日、そのライオンに同情する……。

 やっぱり、尋常ではない方です。

 ヒグマのどんべえと一緒に暮らしたとき、どんべえと初めて迎える冬に、畑さんは世界中の動物学者が書いた論文を読み、「クマがどうやって冬眠するのか」を調べました。

 しかし、誰ひとり、詳しいことを書いていなかった。

 畑さんは、「結局、動物学者といっても、クマの冬眠を見た人はいないんだ」と思ったそうです。

 私はこの話を知り、畑さんこそ、本当に“ホンモノの動物研究家”だと思いました。

 希代のエッセイストであり、動物たちと真にコミュニケーションを取ることができた偉大な動物研究家だった畑正憲さんへ、リスペクトを込めて……合掌。

(文/西沢泰生)


【PROFILE】

西沢泰生(にしざわ・やすお)2012年、会社員時代に『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)で作家デビュー。現在は作家として独立。主な著書『夜、眠る前に読むと心が「ほっ」とする50の物語』(三笠書房)『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)他。趣味のクイズでは「アタック25」優勝、「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」準優勝など。