おディーン様や寺脇康文の風貌は、女性視聴者を味方につけるため?
というのは、まったく個人的な感情だ。だが、朝ドラの主たる視聴者は圧倒的に女性だろう。男性に自分を重ねる視聴者は少ないことが予想され、つまりは男性を主人公とした場合、共感度が上がらないリスクは高いと思う。で、このこと、制作サイドも十分理解しているはずで、リスク軽減作戦が人生論ではないだろうか。万太郎は天真爛漫ですが、お気楽ではないですよ。わが道を見つけたいと悩める少年です。そう早めに説明するための人生論。おディーン様も寺脇さんも野生味あふれる風貌にしたのは、女性視聴者を味方にしたいという計算では? そんな気さえしている。
もうひとつ、男性主人公リスクを軽減するための作戦として、万太郎の姉・綾がいると思う。酒造りをしたいのに、できない無念を7話で万太郎に語った。将来は「どっか知らん家で、知らん旦那さまに尽くす」ことになる、どうせ尽くすなら峰屋にずっといたい、酒造りをしたい、だけど「(女性は)穢(けが)れちゅうがじゃと」、と。姉ちゃんは穢れてなどない、酒造りをしたらいい、しきたりなど変えればいい。万太郎はそう姉に言い、「今こそ変わる時なんじゃ」という蘭光の言葉に思い至る。そういう場面だった。万太郎はジェンダーにも縛られない自由な男性、それも天真爛漫さ、そんなふうに描くこととセットでの「リスク軽減作戦」だと思う。
だからこれからも、綾の人生は描かれ続けるはずだ。時代はまだ明治、どこまで酒造りができるだろう。頑張れ、綾。ってNHKの思うツボ?
《執筆者プロフィール》
矢部万紀子(やべ・まきこ)/コラムニスト。1961年、三重県生まれ。1983年、朝日新聞社入社。アエラ編集長代理、書籍部長などを務め、2011年退社。シニア女性誌「ハルメク」編集長を経て2017年よりフリー。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』など。