夏目雅子さんが一緒に遊んでくれた

 鍵本さんが演技の世界に入ったのは、小学校6年生の秋(1980年)。

 「ちょうど『3年B組金八先生』が流行(はや)っているころで、(雑誌の)『明星』に金八先生に出ている子たちの写真、役名、所属がどこどこの事務所だとかいっぱい載っていて。そこに《撮影現場は学校よりも面白い》と書いてあって。

 私は学校も大好きだったので、それよりもっと楽しいところがあるんだって(笑)」

 新聞のテレビ欄の広告を見て「劇団若草」に応募。半年間予科で訓練をして本科に進み、レッスンに通いながら、ドラマなどのオーディションを受けたという。

 初めて子役として出演したのが、読売テレビ制作の木曜ゴールデンドラマ『非行主婦・アル中の女』(1982年/鶴橋康夫監督)。

 「浅丘ルリ子さんと夏目雅子さんが姉妹で、同じ人を好きになっちゃって事件が起こる。私は痩せていたからなのか、浅丘ルリ子さんの少女時代の役をやらせていただきました(笑)。

 蓼科のすごく豪華な別荘でロケがありました。夏目さんは優しい方で、一緒に折り紙をして遊んでくれたのを覚えています。夏目さんの少女時代役の子と3人で、撮影の合間に同じ机に向かっていましたね」

鍵本景子 撮影/松島豊

 「TBSの『真昼の月 続・病院に死ぬということ』(1994年)では大竹しのぶさんが末期がん患者さんの役で、その妹を演じさせてもらいました。山崎章郎先生が書かれた『病院で死ぬということ』の原作本をもとに作られたドラマで、演出の井下靖央さんがサザンオールスターズのオープニングテーマ曲でリンゴが飛んでる=『ふぞろいの林檎たち』の演出もされている方だったんです。そういう方とご一緒できたことがすごく嬉しかったですね」

 鍵本さんの話を聞いていると、俳優だけでなく作り手の名前が次々に登場してきて、ドラマや映画や音楽が心の底から好きだということが伝わってくる。

 「でも実際に共演すると “ファンでした” とか言えないんですよね。薬師丸ひろ子さんも『セーラー服と機関銃』とかいろいろ拝見して大好きだったんですけど、映画の『病院へ行こう』(1990年)のときにはそんな話もできませんでした」

──同じ役者として一緒の土俵に上がっていますし、やっぱり言えないものなのでしょうね。石田ひかりさんには、先ほどの『南くんの恋人』の話はしましたか?

 「それはやっぱり撮影期間が長いし、どんどん仲良くなったので。“あれ、好きだったんだ。すごくよかった〜” “そっかあ、みのりちゃんに褒められて嬉しいわ” みたいに。池内淳子さんも “あなたたちほんとに仲がいいのね”って、嬉しそうな顔して、おっしゃってくれました」

梅若部屋のおかみさん・明子(池内淳子)。みのりの秘めた恋心を知って、何かと気にかけてくれている