──「就職する」という選択肢はなかったんですね。
「18歳で高校卒業して建築の会社に就職したことがあるんですが、まったく続かなかったんです。そのとき“自分は好きなことしか続かない”と思ったんですね。それで僕は幼少期から映画が好きだったので“映画監督になろう”と考えて、上京しました。
そこでアーティストのMVを作る映像制作会社で働き始めました。下っ端でしたけど、木村カエラさんとか、サカナクションさんのMVにちょっとだけ関わったり……」
──なるほど。思い切りましたね。
「何か作って自分を表現することで、自分の存在価値が見えてくるだろうと思ったんですよ。
それで上京して住んだアパートの隣の部屋の男の子と仲よくなったんですけど、その子がもうね、完全なるオタクだったんです。アニメ大好き、声優大好き、エロゲ大好きみたいな(笑)。
その子がパソコンでFPS(※)のゲームをしていて“このゲームおもしろいよ”って。それでスペックの低いパソコンでFPSゲームを始めたのが、ゲームをやりだしたきっかけですね」
※FPS:ファーストパーソン・シューティングゲームの略。一人称視点で戦うシューティングゲームの総称
──そのときには、自分が苦手だった“オタク”化することに拒否感はなかったんですか?
「意外と拒否感はなくて。ゲームに関しては高校生のときからゲームセンターでシューティングゲームをよくプレイしていたので、受け入れられました。
いま考えると、小学生くらいのときから誰かと対戦するゲームは大好きでしたね。『大乱闘スマッシュブラザーズ』や『マリオカート』『ゴールデンアイ 007』とか。だからFPSゲームもすんなりハマれたのかもしれません」
──なるほど。でも当時はゲームではなく、あくまで映画監督として生きていくという気持ちがあったわけですよね。
「そうです。それで制作会社で働きつつ、いろんなところに頭を下げて、なんとか自主制作映画を1本作ったんですよ。でも最後の編集を終えて見返したとき“全然ダメじゃん俺”って思ってしまって……。とにかく人に見せられる作品じゃなかったんですよ。
それがショックでしたね。周りの人にも完成したら見せる約束をしていたんですが、全部無視して、また引きこもるようになっちゃったんですよね。せっかく上京したのに、今度は関東で引きこもってしまったんです」
──頑張って作ったものを自分で評価できないのはキツいですね……。
「いやいや、当時の僕はすぐ逃げるようなやつだったんです。引きこもっている間は、映画も撮らないし、仕事にも行かないし、人と連絡を取らないじゃないですか。いよいよやることがなくなって、残っていたのが“ゲーム”だったんです」
──ゲームにはハマれたんですね。
「そう。いろんな人と遠隔で交流しながらゲームをするのがおもしろかったんですよ。
当時はSkypeでしゃべりながらプレイするのが主流だったんですけど、最初は怖かったですね。“昨日は何してたの?”とか“何食べるの?”みたいな知らない人の声が聞こえてきて……。疎外感じゃないけど“これは輪に入れないな”と(笑)。
でもよくよく聞いたらみんな自分と同じように家にひとりでいることがわかって。当時の自分は対人恐怖症みたいになっていたので、顔が見えない相手とコミュニケーションを取るほうが楽だったんですよね。顔が見えないからこそ、本音でしゃべれた。それが気持ちよかったんだと思います。
それからだんだんと人と関われるようになってきて、建築関係のバイトを始めました。ゲームのコミュニティで人間関係のリハビリができていくという(笑)」
──もうこの段階まで来ると、自然とオタク寄りになっているのがおもしろいです(笑)。
「そうなんですよ。学生のころは“俺はラッパーだ。チャラい人間だ”と思ってオタクをバカにしていたのに、2度も引きこもって対人恐怖症になって、いろいろあった中で“自分もオタクだったんだな”って気づいたわけですよ。
そういえば、僕は幼少期から映画もゲームも好きだしアニメもフィギュアもおもちゃも好きだったんですよね。なので偏見を持っていたことも実は好きだったんだな、と。大人になって余裕ができてから“世の中にはいろんな人がいるし、いろんな趣味があって、それをフラットな視点で見たほうが楽しい”って気づきました」
──「苦手なもの」って表裏一体というか、自分のコンプレックスが作用しているケースもありますよね。私もオタク寄りの人生でしたが、クラブでZIMA片手にウェイウェイ言ってる人が嫌いな時期がありました(笑)。
「そうなんですよね。深層心理では憧れがあるというか……。でも苦手な人種の人もそれぞれ趣味があるし、自分が体験してみるとおもしろさに気づけたりするんですよね。今はそのことがよくわかります」