ゲームにまっすぐで将来の不安なんてなかった
──当時からFPSのゲームをしていたんですか?
「やっていましたね。最初はうまくなりたい、目立ちたいと思って練習していたんですけど、あるとき“自分はもうこれ以上、うまくはなれない”と思って……。実力も考え方も限界だと気づいたんですよね」
──どのあたりで限界を感じたのでしょうか。
「“年齢”と“やるぞ、という気持ち”が足りてなかったんですよね。今、プロで活躍しているプレイヤーはみんな遅くとも中学・高校くらいからやっていますが、僕は社会に出て20歳を超えてからPCを触り始めたし、あくまでエンジョイ勢(※)だったので」
※エンジョイ勢:ゲームの勝ち負けに過度にこだわらず、楽しむことを目的としているプレイヤー群のこと
──なるほど。そこからなぜキャスターの道に進んだのかが気になります。
「最初からゲームキャスターになりたかったわけじゃないんですよ。
2009年くらいですかね。ゲームユーザーのコミュニティがあったんです。僕はみんなでゲームをしている空間が好きだったんで、運営団体に“手伝いたいです”って連絡してみたんですよ。
そうしたら団体の人が“お前、けっこうトークおもしろいじゃん。ちょっとうちの大会で実況してみない?”って。それで実況の"じ"の字も知らないまま、しゃべり始めたのが活動のスタートですね。もう関西弁丸出しで(笑)」
──(笑)。いきなりしゃべれるのがすごいです。
「いやいや、いま考えたら恥ずかしいくらいグッダグダでしたよ。だからうまくしゃべれるようになりたいと思って、建築のバイトを辞めて、PC知識とトークの両方を学べる、パソコンショップの営業を始めたんです」
──アルバイトだとしても「趣味のために仕事を変える」って大きな決断ですよね。ゲームへの熱量を感じます。
「単純にそのコミュニティが好きで、当時は人生の中心だったんですよね。ただゲームキャスターで食べていけるとは微塵(みじん)も思ってなくて。キャスターだけでメシ食えてる人もいない時代なのでモデルケースがなかったし、コミュニティの運営メンバーも4人くらいと小規模でした。
でもゲームをするのも、ユーザーのみんなが楽しむ姿を見るのもおもしろかったから、仕事もプライベートもゲームに捧げられたんだと思います」
──なるほど。ちなみに営業職でトークスキルは上がったんですか?
「そうですね。うまくなったと思いますよ。僕、どうやら営業職が天職だったみたいで、アルバイトなのに社内でも営業成績がめちゃくちゃよくて。“社員にならない?”って誘われたんですけど、就職したら時間的にゲームキャスターができなくなるじゃないですか」
──そうですよね。でも多くの方は安定を求めて就職しちゃう気がします。
「確かに就職したほうが生活は安定しますけど、僕は当時就職という選択肢はまったく考えてなかったですね」
──「不安だなぁ」とかなかったんですか?
「それがまったくなかったんですよ。ゲームタイトルが好きで、ゲームで戦っている人が好きで、それを伝えて視聴者の方と盛り上がっていくのが好きでたまらなかった。
だから最優先にしたかったんですよね。迷いも一切なくて“好きなことやって、いま生きていればいい”くらいでまっすぐでしたね」
──それが超カッコいいです。「好きなことをやるぞ」という姿勢は映画監督を目指して上京したエピソードにも通じますよね。
「そうですね。ただゲームは自分にとって、ヒップホップや映画とは全然違いました。
いま考えたら当時の自分は“ラッパーっぽくならなきゃ”とか“映画監督みたいに生きなきゃ”って思ってたんですよ。でもそういえば“ゲーム好きにならなきゃ”とか思ったことないですからね。無理していないというか、苦じゃなかったんですよね。
要するに映画やヒップホップはもちろん好きなんですけど、映画監督やラッパーは向いていなかった。でもゲームは好きだし、ゲームキャスターは向いていたんだと思います」