つかみどころのない、身勝手な男の最期

――修をどういう人物と捉えて演じられましたか?

 震災で大変なときに、突然家族の前から消えて、その後いったいどこで何をしていたかは僕もわからないですから、どういう人だったかは特に考えずに演じました。質問されたことに対して全部はぐらかすような、なんだかつかみどころがない男だなという感じになればいいなと思って演じました。

――修は自分にがんが見つかったことで「最後はここでと思って」と言って依子の元に戻ってきましたが、それまで自分の息子がどこに就職したかも知らなかったですしね。

 何にもわかっていないし、自分がいなくなった後、この家がどうなっていようが別に、ということなんでしょうね。だけど、自分にがんが見つかって、心細く、人恋しくなって戻ってきた。本当に男の身勝手だなと思います。

光石研さん 撮影/松嶋愛

――ほかにもデリカシーに欠ける言動が多く、依子はもちろん、見ているほうもイラッとすることが多かったのですが、それは修が依子の気をひくためにわざとやっていたのかな?とも感じました。

 僕はそこまで考えずにやっていましたけど、11年ぶりに我が家に帰ってきたら、だんだんと遠慮がなくなっていったのかなと思います。自分が建てた家ということもあるし、家に上がりこんでからは食べ方も雑で、パンツ一丁で家の中をウロウロしたり、椅子の上に足をのっけて爪を切ったりして。そういう修の遠慮のなさに、ちょっとイラついてほしいなとは思っていました。

――病に臥せった修が、息子の拓哉に「俺とっとと死ぬわ」 という一言が何だか切なくて、胸を突きました。

 これも身勝手なセリフですよね。多少の強がりでもあるんでしょうけど、そう言われたら残されたほうは嫌じゃないですか。

 だけど、修は幸せだったんじゃないかと思うんです。奥さんの状況やいろいろなものが変わっていたし、ちょっと居心地は悪いとはいえ、自分が建てて数十年は過ごした我が家に戻ってくることができて、ホッとしたんじゃないかな。

光石研さん 撮影/松嶋愛

――筒井さんがインタビューで「修はずるい男として書かれているのに、光石さんが演じると『まあ、しょうがないな』となぜか許してしまう男に変わってしまうんです」とおっしゃっていました。

 男の人ってわりとそういうところがあるんじゃないかな。修も一応は申し訳なさそうに帰ってくるけど、妻がまだそこにいてくれたので「もしかしたら、自分のことを待っていてくれたのかも」と思ったかもしれない。それに、依子さんがわりとすぐに家に入れてくれたから、どんどん調子に乗って、昔の感覚に戻っていったのかもしれないですね。

――がん治療のため、未承認薬のお金を出してほしいと依子に懇願するシーンで「許してくれなくていいから助けてください」というセリフが印象に残っています。

 あれも修としては特に深い意味はなくて、本当にただお金を出してほしかったんじゃないですかね。だから興味のない新興宗教の集まりにもついて行って、依子のいる手前、ちょっとええカッコしいなところが出たり、理解のあるようなことを言ったりしたのではないかと思います。