日本は音楽環境がとても恵まれた国

──パレスチナ難民キャンプで演奏されたときの反応はどうでしたか?

まったく盛り上がらなかった(笑)。1列目におったのが、市長みたいな人だと思うけれど、ずっと時計を見ていたから”はよ、終わらないかな“って感じていたと思う

──そういう状況で演奏されるのは、つらくないですか?

僕は、観客が盛り上がらなくても勝手に盛り上がるタイプなので(笑)。僕が経験した海外の音楽はメロディがトラディショナルな感じやけれど、やっぱりビートはロックですよね。北朝鮮で対バンしたバンドも、言葉やメロディは違うけれど音はロックでしたね」

──海外での演奏から、気づいたことはありますか?

「音楽のルーツは祭りだったりするから、リズムをみんなで共有できる。だから、世界各地を回ってみて、リズムがはっきりしているものが好まれるのかなって感じましたね」

──北朝鮮でも演奏されたことがありますが、どのような街でしたか?

「僕らは平壌(ピョンヤン)のほうにおったんやけど、夜は街が真っ暗。それが貧困のせいなのか、電力不足なのかがわからなかったけれど、街に灯りがないんですよ。でも、暗闇のなか、日曜の渋谷くらい人が歩いていましたね。あと印象深かったのは、塗装などまったくなくコンクリート丸出しの建物ばかりでグレイの街で。ジョージ・オーウェルの『1984』(全体主義が支配する近未来社会の恐怖を描いたSF小説)の世界でした」

──電力不足が、演奏に影響したことはありましたか?

東ティモールでも、マイクで歌うときに電源が取れないこともありました。当たり前のように感じているけれど、こんな恵まれた環境で音楽ができる国って日本しかないんですよ。ビートルズも演奏したハンブルグ(ドイツ)の会場に、布袋さんのヨーロッパツアーで行ったんやけど、まぁやりにくかったです。日本はPAシステムやモニターがすごくやりやすいように調整できてるのね。海外は、“細かいことはいいから音を出せたらいい”くらいのニュアンスだから、ヘッドフォンもずっと片耳しか聴こえへんとかあったりね。でもみんなノリノリで演奏しているんです。こだわりすぎてよくない部分も、日本の特徴ではあると思う。劣悪な環境でも音楽は普通にやれるっていうのを学びました

──海外ではどのようにしてコミュニケーションを取られていますか?

「『ポケトーク』(翻訳機)です、これがなかったらもう(笑)。もしくは単語のみですね。単語が3つあったら通じるらしいんですよ。紅茶、喉乾いた、欲しい(笑)。通じるやないですか」

──どういう状況でも対応できる能力はどのようにして身につけましたか?

すみません、まだ非常に身についてません(笑)。でも単純に、自分の知らない世界を経験したいって思うんですよ。見知らぬ国の人は、自分の奏でた音楽にどういう反応するんやろうな、みたいなことを今後も知っていきたいと思っているんです。経験して知ると自信がついて対応能力もつくように思います(笑)

盟友・中川さんとの関係、怒髪天・増子さんへの「会いたいメール」の真相

──ソウル・フラワーのボーカル・中川敬さんとは、ニューエスト時代も入れると長い付き合いになると思いますが、ここまで長くバンドを続けてこられた理由はありますか?

それはあいつがいい曲を書くからですね。それがなかったらすぐ辞めています(笑)。他人と仕事をするっていうことは、自分にとって何らかのプラスにならないといけないと思うんです。中川がいい歌を書くように、俺もカッコいい演奏をする。それがさらによくなっていく。そういう経験があって、続けたいなって思えるんです

──中川さんのどういう部分に、才能を感じていましたか?

「昔から中川はすごい歌詞書くなって思っていた。中川が“曲を作った”と言って歌詞をメンバーに配るんだけれど、漢字が多すぎて読めない(笑)。“これ何て読むの?”って聞いたら、怒られた。“自分で調べろ”って言われたことがありました(笑)。あんな感じの人やけど、彼の言葉の選び方は繊細で、すごく耳に残る歌詞。他にいないと思います

──先ほど彼女に長距離電話をかけたというエピソードをお聞きしたのですが、彼女と言えば毎年、クリスマスの時期になると彼女と間違えて、怒髪天の増子さんに「会いたい」というメールを送ってしまったというツイートが話題となりますが……。

はははは! その事件があってから、クリスマスイブに同じ内容のツイートを1、2年繰り返していたんです。そうしたら周りから“これがないと年末感がないよ”って言われるようになった。すごい反応が多いから、毎年やってんねんけど、同じ写真だとつまらないなあって思ったから、“その年の写真を送ってくれ”って増子に連絡しているんです(笑)

──50代以上になると、友人との交流が少なくなると聞きます。奥野さんはミュージシャンの間で、「おっくん」という愛称で親しまれているイメージがありますが。

「おくちゃんじゃない? おっくんって呼ぶのは、ザ・コレクターズのメンバーとかライブハウスでやっていたころの友達かな。もうちょっと前の呼び方だと、『奥野ウキウキ真哉』っていう名前でやっていたんですよ。インディーズのときの友達からは『ウキウキ』って言われていたんです(笑)

──ファンは、ミュージシャン同士が呼んでいる呼び方でメンバーのことを呼んだりしますよね。

「曽我部(曽我部恵一。サニーデイ・サービスのボーカル&ギター)は学生のときにニューエストのファンで、俺のことを奥野って呼んでいたらしいんですよ。通のファンは呼び捨てにするって言ってた。『蘭丸』『ハリー』みたいな(笑)」

──最後に、国内外で数多くの場所で演奏されていますが、どこで演奏したのが印象深かったですか。

今まででいちばんやりやすかったのは、『日清パワーステーション』('88~98年、日清食品の本社に併設されたライブハウス)。モニターやステージもいちばんやりやすかった。僕、50歳のとき生誕祭をやったんですけど、そのときは閉館していたパワステを復活させようと動いてたんですよ(笑)

──60歳のときの生誕祭が楽しみですね!

奥野真哉さん 撮影/山田智絵

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 気取らない関西弁で、ユーモアを交えながらも、海外や被災地での演奏活動や、演奏されているバンドについて熱く語ってくださった奥野さん。人間性あふれるその魅力を、ぜひライブで感じてみてください。

(取材・文/池守りぜね)

《PROFILE》
奥野真哉(おくの・しんや)
1966年12月2日生まれ、大阪府羽曳野市出身。ミュージシャン、キーボーディスト。'93年に結成されたミクスチャー・ロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」のメンバー。'86年、中川敬が結成したニューエスト・モデル(ソウル・フラワー・ユニオンの前身バンド)に加入。'93年の解散までキーボーディストを務める。'93年より引き続きソウル・フラワー・ユニオンで活動。2001年からは、うつみようこ&YOKOLOCO BANDにも参加。木村カエラ、BONNIE PINK、小泉今日子、アンジェラ・アキ、毛皮のマリーズ、斉藤和義ら数多くのアーティストの演奏・プロデュースや、布袋寅泰、渡辺美里などのサポートバンドとしても活躍中。

■ソウル・フラワー・ユニオン 「結成30周年記念ツアー・夏篇」
・6月17日(土) <京都> 京都 磔磔
OPEN 17:30 / START 18:00
問:GREENS 06-6882-1224
GREENSホームページ

・6月24日(土) <東京> 新代田 FEVER
OPEN 17:30 / START 18:00
問:SOGO TOKYO 03-3405-9999
SOGO TOKYOホームページ

■【有料配信】
ソウル・フラワー・ユニオン 「結成30周年記念ツアー・夏篇」東京公演

・6月24日(土) <東京> 新代田 FEVER
OPEN 17:30 / START 18:00
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アーカイブ: 6月30日(金)23:59まで
配信は「Streaming+」にて

※3公演ともチケット発売中