1980年代から、スーパーアイドルグループの『少年隊』として活動してきた植草克秀(愛称:かっちゃん)。2020年末にジャニーズ事務所を退所する際、一部メディアでは「趣味を生かした釣り番組への出演が増えるのでは」などと報じられたが、私はどうにも納得がいかなかった。なにしろ、少年隊の大きな魅力のひとつである“若さ”を象徴するような高音ボーカルや、ドラマや舞台で熱血漢から繊細な役まで演じていた確かな演技力があるのに、今後はそれらを生かさずに活動していくのだろうか、と。
そんななか、2021年1月に会社を設立し公式サイト、SNSを開設、10月から全国5会場、全17公演のランチタイム&ディナーショー『植草克秀 SHOW&TIME 2021』を開催、さらに2022年2月からは、音楽と演劇を組み合わせたレビュー『TARKIE THE STORY』にて初めて演出を手がけるなど、これまでにはない新たな動きが次々と展開されている。やはり、彼は音楽を中心としたエンターテナーとして活動しているのだ。そこで、全3回にわたるインタビューのうち、まずは退所後の思いやSNSを始めたこと、そして、ランチタイム&ディナーショーについても語ってもらった。
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「“リプ”はすごく参考にさせてもらっています」
──さっそくですが、事務所を退所されてから、まもなく1年が経ちますね。現在の心境はいかがですか?
「退所した今は、いろいろな判断や責任が求められてシビアな部分もあり、“会社を作ったら、こんなに細かい作業までしなくちゃいけないのか”とか、FCサイトの仕組み作りとか、わからないことだらけ。でも、ひとつひとつ楽しみながら学んでいます」
──SNSを始められたのも大きな変化ですよね。
「退所前は、会社に守られていた部分も大きかったぶん、ファンの方が考えていることがなかなか届かなかった。以前のファンクラブでは、僕への質問コーナーに返事をする機会はあったんだけど、どうしても時差が生じてしまう。今はSNSを通してファンの反応がすぐにわかるのがうれしいですね。もちろん、現ファンクラブの会員向けには、会員限定のブログ配信などで、より時間をかけて伝えられるものもあるし、うまく使い分けられたら、と思っています。
僕は、Twitterなどで自分へのリプ(返信)をよく見るのですが、自分が考えていたことと、ぜんぜん違う意見があるんですね。毎日リプを見ていて、“みんなホントに頭いいな”って感心しちゃう。妄想を膨らませている人もいるけれど、そこに思慮深い人もいてね。そういう貴重な意見は、素直に取り入れるようにしています。ときには、引用リツイート文までチェックしちゃって、睡眠時間がなくなっちゃうことも(笑)。すべてのリプに答えることはできないけれど、なるべく目を通すようにしていて、今後、何をしていけばいいか、すごく参考にさせてもらっています。
今回のディナーショーでも、みんなが求めているもの、考えてくれているものについて質問ができるし、すぐに答えも返ってくる。その中で、受け入れるものもあれば、“いやいや、それは(反対されても)俺がどうしてもやりたかったんだ!”ってこともあり、バランスがいいと思います。決して、ひとりよがりにならないようにしてくれるんですよ」
──Twitterはいつも楽しそうですよね。Instagramは、キャンプなどの写真が多いですね。
「インスタは趣味中心ですね。今はコロナ禍なので、それ以前に撮ったコンテンツをアップしています。もともと僕自身がアウトドア派で、30年くらい前からキャンプやマリンスポーツに行って、8ミリカメラで映像を撮っていたんですよ。よくニシキ(少年隊・錦織一清。植草と同じく2020年末にジャニーズ事務所を退所)に、“YouTubeみたいな動画撮影は、お前がいちばん早かったよな”って言われるほど、当時は動画編集も時間をかけてやっていましたから。だから、新型コロナが落ち着けば、自分の趣味をどんどん発信していく予定です」
──YouTubeでは錦織(一清)さんとの『ニッキとかっちゃんねる』も9月から始まりました!
「こっちは、ニシキと一緒にやりたいと思っていました。2人なら1+1が2以上のものができそう。まずは自分たちが楽しんでいる様子を伝えたいし、これまでの体験談をしゃべりながら進めていけば面白いんじゃない? と思って。だからといって、ユーチューバーのように何か自分たちにノルマを課すわけではなく、“あのオジサンたち、なんか楽しそう”って思ってもらえれば、それでいいんです。ただ、ニシキは昔から、コンサートでも取材でも、すべてにおいて話の脱線が多い(笑)。ときには、話の筋まで変わっちゃうんですよ(笑)」
ディナーショー、やるなら「今でしょ!」
──そして、10月からはランチタイム&ディナーショーが全国で開催されています。私は個人的に「趣味を生かした釣り番組に出るのでは」という報道が気になっていたので、こうしたショーも開かれて、正直、とても安心しています。
「ソロでは20年以上ぶりなんですね。退所後は、自分でできる範囲で頑張ろうというだけで、何のプランもなかったんです。実際、いろいろな方面からお誘いはありましたが、まずはファンの方が喜んでくれることを最優先に考えて、音楽の仕事からかな、と考えていた矢先に、ちょうどディナーショーのお声かけがありました。
ディナーショーの仕事はずっとやりたかったんですが、正直、迷いはありました。10年以上、そういった仕事をしてこなかったので。でも、やらなければ何も始まらないし、先方からも“今でしょ!”と急かされたので、前向きに考えました。そのあと、ホテルのラウンジで打ち合わせをした際、そこがかつて(ジャニーズ時代に)ディナーショーをしていたホテルだったんです。あのころの思い出が走馬灯のように蘇(よみがえ)ってきて、“やるしかない!”って覚悟を決めました。
準備期間中は歌とダンス、あとダイエットも、ぜんぶ大変(笑)! 歌はライブで歌っていないぶんだけ、勘を取り戻すのだったり、スタッフと構成を考えて曲を入れ替えたりしていたら、結構な時間がかかりました。今回は、どうしても生音にこだわりたかったったんです。ということは、イチから演奏しなくちゃいけない、生演奏に合わせて歌い方も工夫しなくちゃいけない、というチャレンジの連続でした。
正直な話、(少年隊の)3人でいたときは、ニシキとヒガシ(メンバーの錦織一清と東山紀之)に甘えていた部分もあったと思います。今は何をするにしても、自分で考えなくちゃいけないし、失敗したら俺の責任。だけど、ひとりになってもスタッフが支えてくれていますし、これが成功すれば、また自分の経験にもなりますからね」
──少年隊はダンスもハードですよね。若いバックダンサーの方とのコンビも大変なのでは?
「もちろん、デビュー当時のように2時間半の間、全力疾走ってわけにはいきません。でも、この55歳という年齢でどこまで自分が魅せられるのか、その限界までやってみようと。バックダンサーは20代や30代の子たちを起用していますが、自分との年齢差はまったく気になりません。当初は6人という案もあったけど、4人で十分じゃない? と、自分のハードルを上げたくらいです。もちろん、若さの刺激は受けますが、ついていけないとは感じないですね。
それよりも大変だったのは、今の子たちのダンスは、僕らのとは、かなり異なっていることです。僕らの基本はヒップホップじゃなくてジャズダンスなので、ジャズを基礎にしている子たちをオーディションで選びました。それでも、実際にステップを踏んでみると、同じジャズといえども、僕らの世代が細かく踏んでいたステップを、今は省略しがちなんですよ。だから、自分が教わってきたものや経験したこと、吸収してきたものを教えている感じですね。
しかも、僕の目指すものは、誰かひとりだけがやっていたものではなく、3人の絶妙なバランスでできたものなんです。それは、長年の阿吽(あうん)の呼吸で築きあげてきたもので、そこに合わせてもらうのが大変でした。手ぶりはあまり問題じゃないんですよ。いちばん大事なのはステップ。体重移動が難しいんです。今の時代は、手ぶりばかりに気を取られて、下半身が疎かになりがちなんですよ。そこを丁寧にやってもらっています」
──あのシビアな東山さんが、歴代のジャニーズの中でダンスがうまいTOP3は「ニシキ、俺、かっちゃん」とおっしゃっていますもんね。そして、初日の東京公演を迎えられました。
「初日は、そもそもディナーショーだけのつもりだったんですが、あまりに応募が殺到したのでランチタイムショーもすることになったんです。最初、ディナーショーの前の時間にゆっくりとリハーサルができると思っていたんですが、ランチタイムショーもするとなると、どちらもぶっつけ本番みたいになるんじゃないかって、不安になりました。でも、それだけ応募があるというのなら、やるしかないでしょ! と。
ショーの中ではピアノの弾き語りを入れてみようとか、踊ってみようとか細かく構成を練りましたが、いよいよショーが近づいてくると、逃げたくなるクセがあって(笑)。“もう、無理無理無理……”って思っちゃうんだけど、もうひとりの自分が“逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ!”って心の中で叫ぶんですよ。それで乗り越えました。
ランチとディナーのショーが両方ある日は、リハーサルも通しでやるので、実は1日4公演ぶん歌っています。途中、何曲か抜いてリハーサルすることもできるんだけど、やっぱり生音とダンスのステップの確認をちゃんとしたいので、ひととおりやっちゃう。そのおかげで体力もつきましたよ!
それと、昼公演と夜公演は、重なっている曲が4曲しかないんですよ。つまり、両方ある日は1日で40数曲、歌っているんです。やっぱり1曲でも多く聴いてもらいたいですからね。自分で選んだはいいけど、いざ取り組んでみたら“俺が歌うの? やっちまったな……”と、少し後悔しました(笑)。だけど、知り合いから“絶対、40曲も歌えないだろう~”って言われると、“クソー、やってやる!!”って気持ちになって、頑張ってるんですよ。
さらに演出面では、後方の席のほうにも近づけるように工夫しています。何十年もショーをしていないぶん、近くに行きたいから。ファンの方たちも(手を触れるなどなく)決して進行を妨げないよう配慮してくれて、ありがたいですね」
ショーの初日には涙があふれて──
──本当にファン思いの、至れり尽くせりのショーなんですね! きっとお客さんも大満足だったんじゃないですか?
「そうだと嬉しいですね。今はマスクをしてもらっていることと、
そんな流れもあって、実は、初日の後半の曲で涙腺が崩壊してしまって、自分でもありえないくらいに号泣しました。感動よりも、感謝の気持ちがあまりに強かったんです。温かく見守ってくれるファンのみんなも一緒になって泣いてくれているし、楽曲も思い入れのあるものばかりで、いろいろな思いが込みあげてきたんでしょうね。
歌っているうちに、恩師の顔や、会場を作ってくださった方の顔も思い浮かんできました。初日に間に合わせるようにと、必死に舞台制作をしているスタッフを夜中に見に行っていたんですが、それまで見てこなかったものも見えてきて、感謝の気持ちがあふれてきたんですよ。だから、今回のショーをやってみて初めて気がついたことが、本当にたくさんありました。
おかげさまで、デビュー記念日でもある12月12日の追加公演も決まりました。この日は特別な日にしようと、今からいろいろと考えています!」
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話を聞いてみると、音楽やダンスへの情熱が失われないどころか、いま再び高まっていることに、こちらまで胸が熱くなる。また、イメージどおりの天真爛漫(らんまん)な部分がありつつ、実際にはスタッフやファンの意見をあまねく取り入れていることや、周囲への感謝を忘れない姿勢に大いに感服させられる。こうしたさまざまな壁を乗り越えていく熱意は、日々を頑張っている人ならば、大いに共感するのではないだろうか。
次回は、少年隊の各楽曲についてのエピソードや、近年わき起こる再評価について語ってもらっているので、どうぞお楽しみに!
《取材・文/臼井孝(人と音楽をつなげたい音楽マーケッター)》
【PROFILE】
植草克秀(うえくさ・かつひで) ◎1966年7月24日生まれ、千葉県出身、O型。1980年代前半に少年隊のメンバーとして活動を開始し、1985年12月、シングル『仮面舞踏会』でレコード・デビュー。以降、9作のシングルでオリコン1位を獲得。少年隊の活動と並行し、ソロとしてドラマ『さすらい刑事旅情編』や『渡る世間は鬼ばかり』などの人気シリーズにもレギュラーで出演。2020年末にジャニーズ事務所を退所し、2021年1月より新会社「2steps」を設立。
◆ファンクラブ:https://fan.2steps.jp/
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◆YouTube:『ニッキとかっちゃんねる』