ギャルは最強だ。あの無敵のメイク、無敵のファッション、そして無敵のマインド。トラブルがつきものの人生だって、楽しくポジティブに乗り越えてみせる。あの奔放(ほんぽう)さに憧れる10代、20代は多いだろう。
特に今はSNSの普及もあり、常に誰かとのコミュニケーションが発生する。以前より人間関係が複雑になり、たまには傷ついて泣いちゃうこともある……。そんな令和だからこそ、あの底なしに明るい「ギャル」は必要な”カルチャー”だ。
そんなギャルカルチャーを日本だけでなく、海外にも伝えているのが「うさたにパイセン」。『Ranzuki』『ageha』などのギャル雑誌のモデルを経て、今ではインフルエンサーとしても活動。「ギャルの教科書」と銘打ったYouTubeチャンネルの登録者は40万人以上と、多くの人の共感を得ている。
そんなギャルを究めたうさたにパイセンに「ギャルって何?」「ギャルに目覚めたきっかけは?」などのテーマで話を伺った。
テレビで観た黒ギャルに憧れを抱いた小学生時代
──うさたにパイセンさんの今の活動を教えてください。
「“ギャルを広める”というテーマでお仕事をしています。メディアでギャルを発信したり、国内外でいろんな人にギャルメイクをさせていただいたり……。アニメとかマンガみたいに、日本の代表的なカルチャーとして海外にも広まってほしいなって思っています」
──ここまでの熱量でギャルを続けているのが、すごくカッコいいと思うんですが、いつごろギャルに憧れたんですか?
「小学生のころにはもうギャルに憧れていました。小2のときにめざましテレビ(フジテレビ系)の『イマドキ』っていうコーナーで黒ギャルがルーズソックスを紹介してたんですよ。それを見て“え、超かわいい”って思ったのは、めっちゃ覚えていますね」
──早いですね。小学生で黒ギャルに憧れが芽生えるのって、わりと珍しい気がします。
「私、福島出身で周りにギャルが皆無だったんですよ。だから黒ギャルとかルーズソックスが珍しくて心に響いたのかも(笑)。
それで小5のときに、100円均一でアイライナーを買って。あとマスカラを塗ったり。黒ギャルになりたかったから、真夏でも絶対日焼け止めは塗らずに登校してた(笑)」
──それは親御さんも公認で?
「いや、めっちゃ厳しい家庭だったんで、お母さんには内緒にしてましたね。メイクに関しては、姉がバンギャだったんで、今でいう地雷系っぽいメイクをしていたんですよ。その影響もあったかもしれないです」
──なるほど。小学生のときは福島でどんな遊びをしていたんですか?
「とりあえず、”ギャルといえばプリクラ”だと思ってたんで、めちゃくちゃ撮ってましたね。コスプレできるゲームセンターでギャルっぽい服装に着替えたりして。
でも当時は『egg』とか『Ranzuki』みたいなギャル雑誌すら知らなかったんで、ギャルファッションはわかんなかったんですよね。だから、とりあえずヤンキーの友達の格好を真似(まね)してました」
──あ、でも確かにヤンキーの服装とギャルファッションって近いかもしれない。
「そうですよね。当時は“ちょっとギャルっぽくない?”みたいな(笑)。でもギャルとヤンキーのファッションってまったく違うんですよ」
──え、どう違うんですか? めっちゃ気になる……。
「ギャルもヤンキーも動機は一緒で“自分を強く見せたい”っていう気持ちからスタートするパターンが多いんです。やっぱり学校でいじめられたくないじゃないですか。だからとりあえず金髪にしたり、ジャージを着たりして不良っぽく見せるんですよね。それがヤンキーです。
で、そこから“え、でもちょっと待って、かわいくなりたいかも”って思って、メイクだけギャルっぽくし始めるんですよ。つけまつげを付けてみたり。でもお金かけたくないから“髪の毛はブリーチしっぱなしでプリンになってる”とか“服装はジャージ”とかなんです。それがいわゆる“ヤンギャル”ですね。ちょっとギャルっぽいけど、完璧じゃないっていうか」
──おもしろいです。ヤンキーからギャルになっていく過程があるんですね。
「そう。私が小・中学生のころは、地元にヤンギャルが多かったですね。でもヤンギャルと違って、ギャルって完璧なんですよ。
もちろん流行は大切だから常にチェックしておくし、服装にはちゃんとお金をかける。ヘアケアもしっかりやるし、メイクも爪も常にキレイにしておく、みたいな。完璧だからこそ、ちゃんと自己肯定できるんですよね。
でも小学生のときは私もギャルを理解できてなかったので、とりあえずヤンキーっぽい格好を真似してましたね(笑)。“親は厳しいから、家ではいい子にしておく”みたいな感じでした」
いじめられていた時期にギャルに救われる
──小学生のころにギャルに憧れ始めて、中学生ではどう成長していくのかが気になります。
「私、小学生の高学年くらいから、いじめられてたんですよね。もともと気が弱いから、あんまり周りとしゃべれなかったりして。周りからブスって言われたりして。それでヤンキーっぽい格好をしてたから優等生グループからも嫌われてたんですよ。それで友達ができなくて、みたいな。
そのとき、すごくつらかったんですけど“私このままじゃいけない。なんか変えなきゃ”と思ってたんですね。それで中1のときに、無理やり学級委員になってみたり」
──いじめられている中で学級委員に立候補するって、すごい行動力です。
「それくらい“なんとかしなきゃ”って思ってたんですよね」
──クラスの優等生グループと仲よくなっていくんですか?
「いや結局、なじめなかったんですよ。例えば他の学級委員の子とか、“テスト何点だった?”、“90点なんだけど最悪だわ”みたいな話してて。え、私40点なんですけどみたいな(笑)」
──なるほど。「これじゃ変われない」っていう感覚があったんですね。
「そう。グループとしてもなじめなかったし、何より“自分がやりたいことって、これだっけ”って思ったんですよね。優等生キャラもできないし……。そのときに“親が期待している子になろうとしてるじゃん”って自覚したんですよ。それがすごく嫌でしたね」
──「親が決めたレールから抜け出したい」みたいな閉塞感もあったというか……。
「そうですそうです。で、結局なにも変わらなくてつらいなぁっていう時期で……。そのときにCROOZblog(※)でギャル雑誌のモデルさんが書いたブログを読んでたんですよね。
それが、もうカッコいいんですよ。どの投稿もキラキラしてて“人生楽しい!”ってのが伝わってくるんです。読んでるだけでめっちゃ心が救われる感覚があったんですよね」
※2005年から開始した無料ブログサービス。当時はギャル雑誌のモデルがよく使っていた。2022年に惜しまれつつサービス終了した。
──いじめから抜け出せない自分と、毎日が楽しそうなギャルを対比させていたんですね。
「そう。それで、ギャルみたいにかわいくなろうって思ったんですよ。内面は簡単に変わらないってわかっていたので、まずは外見を変えようって。
それで中2のときに人生で初めてつけまつげを付けて、ギャル雑誌を買ってメイクの勉強をしはじめました」
──「ギャルになること」が自分のやりたいことだったし、現状から抜け出す方法だったんですね。
「そうそう。中2で外見をギャルみたいにかわいくしたら、だんだん自信が持てるようになったんですよね。それでスクールカーストの一軍のグループにからんでいって、だんだん友達ができるようになりました」
──いきなり、一軍にからんでいけるのもすごいです(笑)。
「中学の一軍の子って、キラキラしてて楽しそうじゃないですか。私はそういうコミュニティに憧れてたし、それ以外はやりたくなかったから、どうにかして仲間に入りたいと思ってたんですよ。
でもぶっちゃけ当時はヤンギャルっぽい子しかいなかったんですよ。私はギャル雑誌を読んでたし、ちゃんとギャルになりたかったので、友達にメイクをしたり、洋服を貸したりしてましたね」
──好きなことだったから、ちゃんとコミュニケーションを取れたわけですね。中学生のころから、今の活動と同じことをしていたのがおもしろいです。
「やっぱりつらい時期にギャルに救われたので、当時から“みんなにちゃんとギャルを知ってほしい”って考えていたんだと思います。
今も同じ気持ちですね。自分が“人生楽しい!”っていうギャルの生き方に救われたからこそ、ギャルをたくさんの人に知ってほしいと思ってます」
【後編→ギャルの伝道師・うさたにパイセンに聞く、すべてを肯定するポジティブなギャルマインドを持つ秘訣】
(取材・文/ジュウ・ショ、編集/FM中西)