明治維新の面影が残る都市、山口県山口市内を爆走するチャリが1台。操るは、前身を黄緑色のスーツに包み、反射ベストをつけた怪しげな男性……。これこそが、山口が誇るスーパーヒーロー「ちゃりんじゃー(者)」。
あれを見ろ! 鳥だ! 飛行機だ! いや、「ちゃりんじゃー」だっ!
このヒーロー、チャリ用空気ポンプや『仮面ライダーW』の変身アイテム「サイクロンメモリ」を使うことでちゃりんじゃーに変身し、『仮面ライダー』の愛車・サイクロン号ならぬチャリにまたがり、この世にはびこる悪を退治せんと言うかのように、ときには市内70キロもの距離を爆走する。
平和を守るスーパーヒーローの常として、鍛練も欠かさない。
市内にある秋穂二島(あいおふたじま)の裏手にある山の頂上などで、週に1回、無心になって趣味の極真空手の稽古に勤しむ。高々と上げた右足から繰り出されるハイキックはスーパーヒーローの名に恥じない力強さだが、驕(おご)ることなくこう答える。
「日本のスーパーヒーローはシンボルを使って変身するからね。ちゃりんじゃーもシンボルで変身して戦うの(笑)」
こう語るちゃりんじゃー、またの名を武本ティモシィといい、ロンドン出身で山口大学経済学部の教授という顔も持つ。普段は山口大の学生相手に、厳粛な面持ちで専門である文化心理学を講義している武本教授は、東西のスーパーヒーローを対比することで、ユニークな日本人論を展開している。そしてこれがめっぽう面白いのだ──!
息子のヒーローごっこと観光客の御朱印集めに魅せられて
ちゃりんじゃーこと、武本先生が語り始める。
「日本に興味を持ったのは偶然でした。イギリスのエジンバラ大学で哲学を専攻していたんだけど、これが意外とつまらなくて。現代外国語であるジャパニーズ(日本語)も勉強していたんだけど、選択科目として比較宗教学も学んでいました。それで日本の神道に興味を持ったの」(武本先生)
ちょうどそのころ、エジンバラ大学で日本語を教えていたある先生が、「日本学」の講座を開講しようとしていた。その先生から「専攻を変更しませんか?」と声をかけられたことが、今日の研究につながるきかっけだったという。
来日してからは岡山大学に所属して神道の一派である「黒住教(くろずみきょう※)」を研究。神道への理解をさらに深めていった。2001年には佐賀県出身の妻と結婚、山口大学に職を得て定住した。スーパーヒーロー研究のきっかけは、山口で生まれた長男がテレビのスーパーヒーローや戦隊ものに夢中な様子が面白かったからだという。
※備前岡山藩の守護神社・今村宮の神官であった黒住宗忠(くろずみむねただ)が、江戸時代(文化11年・西暦1814年)に開いた教派神道。幕末三大新宗教に数えられ、神道十三派の草分け。
「長男が、宗教的と言っていいほど恍惚(こうこつ)としながら、“変身!”“合体!”、また“変身!”“合体!”とやっているの(笑)。その様子を見て、これは面白いと。それで自分も一緒になってテレビを見るようになりましたが、あることに気がつきました。(お遍路などの)巡礼者と日本人の観光行動、そして日本のスーパーヒーローは似ているんです。三者すべてがシンボルを集めたり、持っているんです」(武本先生)
巡礼者たちが持つ杖(つえ)には、道中で買い求めた鈴やお守りなどのシンボルが必ずと言っていいほど付いていて、目的地であるはずの神社や寺では、お参りもそこそこに御朱印に殺到する。足を棒にして神社やお寺を訪ね歩き、御朱印というシンボルを集めることで罪は許され、極楽往生間違いなしの、清らかな自分に変身するのだ。
こうしたシンボルを求める傾向は観光でも見られると武本先生。観光地では、各地を巡ったシンボルであるスタンプラリーが大人気だし、どんなさびれた観光地の駅にも、記念のスタンプが置かれている。
スーパーヒーローは、「サイクロンメモリ」や「変身ベルト」「ウルトラアイ(ウルトラセブン)」などのシンボルなしに、無敵のファイターに変身することはない。シンボルなき観光地には魅力を感じず、ヒーローもスーパーパワーを発揮することができない。日本人とシンボルは、切っても切れない関係があるのだ。
変身して「本当の自分」に戻る日本、変身しても「もとのまま」の欧米
こうした日本人とシンボルとの関係、そしてシンボルを使っての変身は、現代になって始まったことではないと武本先生。
「昔のスーパーヒーロー、たとえば桃太郎や水戸黄門、遠山の金さんも、チャンバラをする前にシンボルを取り出して変身します。シンボルを使って初めて、スーパーヒーローに変身できるの」(武本先生)
桃太郎の鬼退治はきびだんごがあればこそだし、水戸黄門は印籠を取り出してから悪人どもを懲らしめ、遠山の金さんももろ肌脱いで桜吹雪の入れ墨を見せつける。それまではただの子ども、老人、遊び人だった人物が、シンボルを使うことで初めて本当の自分、つまりは“強くて頼れる正義の味方”たる、自分の中の、本当の自分自身を解き放つことができるのだ。
その一方、欧米のスーパーヒーロー、たとえばスーパーマンやスパイダーマンの変身には、目立ったアイテムは登場しない。さらには変身してスーパーパワーを獲得しても、スーツの中身はさえない新聞記者のクラーク・ケント、両親を亡くした内気な青年ピーター・パーカーのままである。
しかしなぜ日本では、スーパーヒーローに変身するのにシンボルが必要なのか? 武本先生は日本古来の宗教である神道の影響を指摘する。
「神道、たとえば私が学んだ黒住教では、“こころの中には天照大神という鏡がおわす”と教えています。私は、日本人は、その鏡に自分の姿を映すことで自己を意識していると思います。
つまり、欧米では“われ思うゆえにわれ在り”と言うように、頭の中で言葉にし、ブツブツと自問自答することで何が正義かを自分自身で判断し、自分という人間を意識します。それに対して日本人は、こころの中にある鏡に自分自身を写すことで何が正義か、それが本当に正義であるのかを判断し、自分を意識するのです」(武本先生)
頭の中でブツブツと反すうしながら答えを出す欧米のような自問自答型の自己認識では、考えはどうしても一方通行的になりがちだ。だが、こころの中に自分を写し出す鏡があれば、自分の姿を映像にして、“自分と自分の考えは本当に正しいだろうか?”と、他者の視線からも自分の姿を見るような、一歩引いた客観性を持つことができるだろう。
「ですが、自分自身を常に鏡に写し出すことで何が正義か、それが本当に正義であるかを判断するとなると、どこまでも自分で考えたり、論じる能力は限られてしまう。考えて論じる力が制限される中で力を発揮するためには、制限を外したり、それを引き出してくれるシンボルが不可欠なんです」(武本先生)
日本人はよく、欧米人から「自己主張しない」と言われたり、「Yes、Noがはっきりしない」「何を考えているかわからない」と指摘される。外国人との討論の際、理路整然とした欧米人の理論を正しいと感じながらも、「でも本当にそれだけが正解なの?」とどこか戸惑い、その戸惑いを照れ笑いで隠してしまうことを、われわれ日本人はしばしばする。
言うなればそれは、こころの鏡に相手の意見に同意する自分自身の姿を映し出しつつ、「相手の言い分は正しいのか?」「それに同意する自分に恥じるところはないだろうか?」と一歩引き、自分自身を客観的に眺めている姿なのだ。
武本先生は、欧米の人々には意味を察しかねるこうした日本人の不思議な姿勢を、とても高く評価する。
「僕から見ると日本人は、若いころから自分自身を想像することに長(た)けている。これは神道というベースがあって、そうしなさいと教えられているからです。日本人には反省する能力があるのです。ところが西洋人にはそうした能力はありません。こころの中に自分を写す鏡がないからです」(武本先生)
ちなみに先生がちゃりんじゃーに変身するのは、「日本人になりたいから。日本人が持つ、視覚的な自己意識を持ちたいから」(武本先生)だとか。
スーパーヒーローから私たち一般ピープルまで、意識すらしてないものの、日本人には、神道の考え方が相当根強く息づいているようであり、その考えは、異なる文化的背景で育った持った人にも興味をそそるものであるようなのだ。
#2では、スーパーヒーロー像の比較で見えた意外な日本人の姿と、これからのインバウンド戦略について聞いていく。
(取材・文/千羽ひとみ)
《PROFILE》
武本ティモシィ
山口大学経済学部観光政策学科教授。1965年イギリス・ロンドン生まれ。エジンバラ大学で哲学と神道、バス大学で工学を学んだのち、1989年より日本に滞在。8年前より社会心理学の一種である文化心理学を専門とし、東西のスーパーヒーロー像の比較や、レストランのメニュー等を通して独自の日本人論を展開している。