街にはいろいろな“モノ”があふれています。
それは普段、当たり前のように存在するため、特に気にすることなく、目の前を素通りしていきがち。しかし、その“モノ”は、街にとって、私たちにとって欠かせない“モノ”だったりします。
素通りせず、足を止めてその“モノ”を見入ってしまう人たちも……。
そんな、街のなにげない“モノ”を「素通りできない」人を深掘りしました。
10歳から芸能活動を始め、俳優としてアニメ映画『思い出のマーニー』、タレントとして日本テレビ『ZIP!』など多方面で活躍している石山蓮華さん。実は彼女は「電線愛好家」という肩書も持っています。
「電線」とはもちろん、発電所で発電された電気を輸送するケーブルのこと。まさに街にあふれる“なにげないモノ”の筆頭格といっても過言ではないでしょう。
さっそく取材をオファーし、お話を聞くならやっぱり、電線が見映える=電線映えする場所で……とあちこち考えるも、具体的なエリアがまったく浮かばずじまい。
ビジネス街なら電線映えするかも、となんとなくのイメージで打診してみると、《新橋はいかがでしょうか? 駅前を出てすぐの飲み屋街など、細い通りに電線がギュッと輻輳していて見ごたえがあると思います》との返事が。
なじみのなかった言葉「輻輳(ふくそう)」を辞書で引くと、「いろいろなものが同じ箇所に集中して混雑する状況のこと」とありました。主に電気通信分野で使われるというこの言葉がサラリと出てくる点で、彼女が本物だと悟りました。
電線には“用の美”がある
「ここは鉄道で使われているトロリー線と、電柱で使われている配電線の両方が見られるスポットなんです」
新橋駅前のSL広場で待ち合わせ、オススメされた新橋西口通りへと歩き始めてすぐ、頭上の高架ホームを指さして説明した石山さん。
そもそもトロリー線と配電線が何かもわからず戸惑う筆者に、碍子(がいし)と呼ばれる器具が付いているのがトロリー線で、電車の屋根に付いているパンタグラフ(電気を取り入れる装置)に触れて、電気を供給している様子が見られるのだとか。「電車」と呼ばれるだけあって、そういえば鉄道も電線が必要な乗り物だったと再認識させられました。
そのまま、メインとなる飲み屋がある通りへ。
“サラリーマンの聖地”と呼ばれるだけあって、駅周辺は狭い道幅沿いに居酒屋やバー、パブなどがひしめき合っていますが、店の数に負けじと、頭上にはおびただしいほどの電線が。「輻輳」な光景がそこに広がっていました。
「ひと言で電線といっても、いろいろ違いがあります。例えば電柱の上でグニャグニャ蠢(うごめ)いているのが配電線。いちばん上にある3本の高圧線から流れる6600ボルトの電気を、変圧器で100ボルトと200ボルトの電圧に変えて住宅やお店などに配電します。電柱から家庭に電気を引き込むときに使うのが引込線。街の電線と屋内電線の狭間のようなものですね」
電線といえば全部同じで、まとわりつくように電柱に巻きついているのも、単に余らせた線を束ねているだけかと思っていましたが、どうやら違っていたようです。
「電線の色が基本黒いのにも理由があって、電気の通り道となる導体を被覆(※1)する素材に黒いカーボンブラック(※2)が混ぜられているから。その被覆が日焼け止めにもなっています。
電線をたどっていくと、道がY字に分かれていたりします。もし建物がなくなったとしても、電線が残っていれば、ここがどういう街並みだったのかわかるような気がするんです」
SL広場前から距離にして100メートルも進んでいないにもかかわらず、目についた電線をきっかけに、石山さんの話は尽きることがありません。
「電線も電柱も人の手で1本ずつ架けられ、街に置かれる。日用品としての便利さと美しさを兼ねそろえた“用の美”が感じられますね」
※1 物の表面を覆いかぶせること ※2 炭素主体の微粒子
店の外壁に設置された、年季の入った電線も逃さずチェック。
「最初は役割を持って、まとめられて敷設されていたはずなのに、気づいたら中途半端な形になって、オブジェみたいな感じで固定されているのがイイですね」
まさに新橋は、電線について語りがいのある街でした。
「道幅が細い飲み屋街は、電線が近くて見やすいので好きです。新橋以外だと北千住や新宿ゴールデン街、赤羽がオススメ」(※ゴールデン街の撮影は原則禁止されています)
東京・北区にある赤羽は、石山さんが電線を愛するきっかけとなった場所で、新橋のように飲み屋街が密集するエリアがあります。
小学生のときに、父親の仕事場があった赤羽を散歩していた石山さんは、街の電線が「ウネウネしていて生き物っぽいな」と興味を持ちはじめ、静物スケッチでよく描いていた植物の根や蔦(つた)が電線に似ていると感じるようになって以降は、空を見上げるようになっていたそう。
「今ではどこを歩いていても、どうしても電線を見てしまいます。電線は飽きない。見上げていると、無限に時間が足りなくなってしまう」
映画やドラマを観ていて電線が映ると、意識がそっちの方に行ってしまったりも。
「最近観たのだと、韓国映画の『パラサイト 半地下の住人』は、住宅街と電線の景観が日本と似ていて、電線がクモの巣みたいに描かれていた。私にとってあれは“電線”映画ですね」
電線のアンソロジー本を手がけたい
「電線は街にとっての血管で、電話やインターネットをつなぐ通信線は神経みたいなもの。水道やガスなどのインフラ設備は内臓みたいに地中に埋まっているのに、電線だけは露出していて、“見える内臓”みたいになっているのが面白い」
「ウネウネしていて生き物っぽい」と感じた電線から派生して、街全体を生き物にたとえる石山さんは、今年6月から日本電線工業会の「電線アンバサダー」に就任。単なる話題づくりとしてではなく、電線業界が何をやっているのか、電線づくりの魅力などについて自ら取材し、発表しています。
「例えば19世紀末のマンハッタンでは電柱・電線が使われていました。当時使われていたのは電線の表面にコーティングのない“裸線”です。裸線は触れると感電してしまうため、事故も多かったそうです。しかし、日本で同じように電線の安全性について重視されるようになったころ、国内の被覆技術が進み、安全に電線を張れるようになっていました。この景色は技術力が育んだものともいえますね。
海外の電線を見に、香港とバンコクへ行きました。香港では電線の地中化が100%進み、バンコクでは電柱の形が四角だったりするんですよ」
電線の地中化は、日本でも1986(昭和61)年から「電線類地中化計画」として、防災機能の強化や安全で快適な歩行空間の確保などを目的に進められており、東京でも2016年から無電柱化を促す法律が施行されました。つまり電線・電柱は、町にあふれる“なにげないモノ”ではなくなりつつあります。
石山さんを取材したのは11月初めでしたが、その数日後の10日は「1」を電柱に見立てて、3本の電柱をゼロ=「0」にする「無電柱化の日」だとか。なお11月18日は、111の電柱と、あらゆるものにつながる無限大(8)を意味する「電線の日」。一か八かならぬ“ゼロかバチか”のせめぎ合いが続いています。
水道やガス管のように、電線も地中に埋まった“見えない内臓”となっていくことについて、石山さんはどう思っているのでしょうか。
「ひと言では答えにくいですが……どういう文脈で無電柱化政策が進んでいるのか、気にはなっているので調べています。無電柱化を推す学者の方が、著書で“電線・電柱の外見はゴミ。日本はゴミ屋敷のようなもの”と書いていましたが、人によって物事の見方や捉え方ってこうも変わるんだなあと。
同じモノを“いいもの”と見るか“ゴミ”と見るかは、感覚の問題なので人それぞれだと思います。でも同じ道を歩くのであれば、何かにイライラし続けて歩くより、楽しい目線で(電線を)見上げて歩きたいですね」
今年12月に電線への愛を綴ったエッセイ本(『電線の恋人』平凡社刊)の出版を控える石山さんが、目下のところ力を入れて研究しているのは、映画や小説、アニメなどに出てくる電線について。
「(華道に見立てて電線・電柱の画やオブジェを発表する)山口晃さんや(『新世紀エヴァンゲリオン』の)庵野秀明さん、『陰翳礼讃』を書いた谷崎潤一郎といった日本の小説家や画家、映像作家たちが、どんな風に電線を見て、それを自作に表現してきたのかに興味があります。
もし私が富豪になったら、好きな作家に電線について書いてもらって、電線のアンソロジー本を作りたい。“文学と電線”という切り口で、自分以外の他者が電線をどう捉えているのかということを、作品を通じて知りたいです」
俳優業で電線好きが役に立ったことは? と尋ねると「ないですね」と即答。それでも、「コマーシャルの撮影で、微妙な角度で体を静止していなければならないときに電線が見えていると、心が落ち着きます」
石山さんにとって電線は、生活動線(ライフライン)であり、心の生命線でもありました。
取材を終え、次の仕事に向かった渋谷のスクランブル交差点一帯には、電線・電柱がまったくないことにあらためて気づきました。地上には人があふれ、上空は広告看板や大型ビジョンで彩られている。それなのに、輻輳さに欠けて味気なく感じたのは、決して気のせいではなかったのかもしれません。
(取材・文/松平光冬)
《PROFILE》
石山蓮華(いしやま・れんげ) 1992年生まれ、埼玉県出身。電線愛好家・俳優・文筆家。電線愛好家として『タモリ倶楽部』などのメディアに出演するほか、2022年より日本電線工業会公認「電線アンバサダー」としても活動。俳優として舞台や映画、CMなどに出演中。2023年3月、舞台『背信者』出演が決定。文筆家として「電気新聞」「ウェブ平凡」などに連載・寄稿。晶文社より読書エッセイ『犬もどき読書日記』を刊行。エッセイ本『電線の恋人』(平凡社)が2022年12月に発売予定。