『鉄男』(1989年公開)、『六月の蛇』(2003年公開)、『ヴィタール』(2004年公開)など独特の世界観で熱狂的なファンも多い塚本晋也監督(63)。近年は終戦記念日に再上映されている『野火』(2016年公開)の監督・出演の印象も強い。インタビュー後編では、2022年夏に撮影された新作映画についても語ってもらいました。
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【前編→塚本晋也監督が語る映画作りへの情熱。伝説の“ゲリラ撮影”、ハリウッド版『鉄男』が実現しなかった理由とは】
塚本組のボランティアスタッフを経てプロになった人も
──コロナ禍での映画撮影は、これまでとはどのように違いましたか?
「今回は、時流的にボランティアのスタッフを多数募集するのはちょっとよくない気がして人数を絞りました。ボランティアスタッフといっても、僕の映画の現場を1回でも経験した人は、次はプロとしてお願いしています。初めての人でも僕自身がプロデューサーのときは映画の二次利用でお金が入ってきたときに、必ずお礼を払うのも最初のころから変わらずやっています」
──どうしても自主映画と言うと、そこらへんがあいまいになってしまいそうですが、きちんとスタッフに敬意を払われているのですね。
「今回はコロナで働くのが難しかった時期を経ていたので、お礼は、初めて参加する未経験の人でも終わった直後にお支払いしないといけないと思いました。前作『斬、』(2018年公開)もそういう感じでしたが。そういうわけで今回の撮影はできる限り少人数で行いました。素材は一気に撮って、あとは自分ひとりで長い時間をかけて編集を行っています」
──スタッフを募集されているのも、商業映画では見ないやり方だと思うのですが。
「『鉄男II BODY HAMMER』(1992年公開)を作るときに集まったボランティアスタッフは、その後の製作でもかなり残ってくれました。そのスタッフが今度は先輩となって、その都度、新しいスタッフさんも集めては指導していく。その流れで人が成長していくのは感動的なものです。最初は未経験のボランティアスタッフから、のちにプロのスタッフになった人もいます」
──ボランティアからプロになられた方にはどういう気持ちで接していましたか?
「僕自身が何かを教える、ということはあまりないです。先輩の指導もありますが、難しい状況に投げ込まれて自分で解決していく力を持った人が伸びていきます。吉田恵輔監督(代表作に『銀の匙 Silver Spoon』『ヒメアノ〜ル』など)は現場でものすごく頑張ってくれて、『六月の蛇』や『ヴィタール』では照明で力を発揮してくれました。そこから監督として独立していきましたね」
地方のミニシアターを回って見えたこと
──今回の新作映画では終戦を題材としています。どのようにして企画がスタートしましたか?
「『野火』、『斬、』、そして『KOTOKO』(2012年公開)にもつながる戦争ものです。タイトルがまだないので一応『終戦企画』と呼んでいるのですが、戦争が終わった直後の世界の話です。小さな事象から大きなことが描きたいと思った。今の時代が持つ不安感をやはり強く描いています」
──『野火』上映時には、全国にあるミニシアター40館すべてに挨拶に行かれたそうですが、ミニシアターが閉館したり、苦境に立たされている現状についてどう感じていますか。
「まず僕の映画をずっと上映してくれているのがミニシアターなので、その場所がないと生きていけない。もしもミニシアターがなくなってしまうと、表現の多様性も失ってしまう。マジョリティーな映画は残っても、さまざまなユニークな映画を観る機会がなくなってしまうと思うんです」
──実際に、地方に行かれて見えたことってありますか?
「主要都市では若いお客さんもいたのですが、どうしても地方だと年配の人が多い。若い人がミニシアターで上映される映画にあまり関心がないってことに気づきました。これは大きな問題であり課題だなと感じています。劇場の周りの風景としても、シャッターが下りている店が多いのが印象的でした。休みの日にショッピングモールの中にあるシネコンに映画を観に行くのが、今の娯楽スタイルなんでしょうね。個性的な映画館に行くっていう行為がだいぶ廃(すた)れてきているって危惧しています」
──私が学生のころは情報誌や映画評論家の方の情報をもとに映画を観に行っていましたが、今の世代はどこから情報を手に入れているのでしょうか。
「やはりネットでしょうね。今はそれこそYouTubeですごく流暢(りゅうちょう)に映画紹介をしている動画もありますからね。前は情報をかぎつけるにはちょっと努力をしないといけなかったから、たどり着いたときの喜びも大きかったって思うんです。でも今は“すぐ知りたい”ってことなのかもしれませんね」
──映画作りよりも、手軽に見てもらえるYouTubeで発信している人が増えているように思えます。塚本さんはそれについてどのように感じますか?
「YouTuberのフットワークのよさはすごいですね。動画の映像そのものは、劇場で上映しても耐えられるようなクオリティーで撮っている人が大勢います。カメラが好きな人って、本当に映像のクオリティーにうるさかったりしますからね。『野火』のときに自撮りで撮るぞ、と一大決心をしたこともありましたが、YouTubeでは、ある意味それが当たり前ですからね」
──塚本さんの作品は再上映も多いですが、中でも「極音上映」と呼ばれる大きな音で観られる上映は人気ですよね。
「『鉄男』みたいな作品は、大きな音で観ないと意味がないんですよね。以前はモノラル録音で音の迫力に限度があったので、上映前にも劇場に出向いていましたが、デジタル録音になってからはその必要はなくなってきたんです。でも念のため、できる限り事前に劇場に行っていますけどね」
──塚本さんは、最初に上映されたとき以降の再上映の際にも、よく劇場に登壇されている印象があります。
「それは自分の映画を見てくださるのはとても嬉しいことなので、呼ばれたら行けるときは行きます。自分の映画ですからね。外に出て行くのが好きかっていうと、どちらかというと苦手なので本当に自分の映画の場合は、です。俳優の場合だと『シン・ゴジラ』のような大事な役のときは行かせてもらいますけどね」
50代以降、夢中になれるものの見つけ方
──本当に映画がお好きなんだなって伝わってきます。50代になると夢中になれるものが見つけづらいという声をよく聞きますが、どのようにすれば見つかると思いますか?
「50代って年齢的にも仕事も落ち着いてきて、好きなこともできる年齢ですよね。そこで(やりたいことが)見つからないってことですか!?」
──そうですね。自分の周りの40代でもすでに「疲れてしまった」と言っている人もいますね……。
「紙一重の世界ですよね。ひとつ間違ったら、全然何もやる気がなくなってしまうところを、そこから面白いものを見つけるのが、僕はちょっと得意ってことですかね。人に言うほどではないけれど、自分が面白がれたらいいんですよね。例えば『鉄男』では、(コマ撮りの)アニメーションの表現を映画に持ち込むことが面白かった。レコードで同じフレーズを何度も聴くみたいに、ワンシーン、ワンカットを何回観ても面白いものを作るのに没頭したんです」
──塚本さんのように、どうすればひとつのことをやり遂げられるのでしょうか。
「初期モチベーションをどれだけキープできるかが大事だと思うんです。ずっと舐(な)めていてもおいしい飴(あめ)みたいに、自分にとって1個、面白いと思える遊び道具があるといい。その飴の味を思い出して、いつ発動しても面白がれるんですよ。映画を作ること自体はいつも同じなんですけれど、その中でちょっとでも新しい遊び道具を自分なりに見つけています。それを自分以外のプロデューサーとかに説明しても伝わりにくいだろうなっていう感覚もあって……。そこが難しいですね」
──面白いものを見つけるのが、大事なのですね。
「今はちょっと息苦しくて大変な世の中ですよね。何かを作り出すときの初期衝動やモチベーションが、楽しいことではなくて世の中への不安とかになっている部分もある。できればそんな世の中じゃなかったらいいのにって思います。“やらざるをえない”がモチベーションになっているのはちょっとつらい感じがするんです。何かやるにしても“二番目に面白い”だとダメなんですよ。いちばん面白いっていうのが大事なんです。僕の場合は仕事自体が好きなことなので、そこは恵まれているのかもしれません。映画を作ることも、出演することも自分がやりたくてやっていることだから」
──最近、塚本さんがハマっているものはありますか?
「このあいだ、軽トラックの荷台にタイニーハウスを作ったんです。タイニーハウスを作るので多いのが、60歳とか定年後の年代だそうなんです。僕も定年後のコロナ禍の中で始めました。映画以外で本当にやりたいこと! 人が止めようが笑おうがやりたいことだったんです(笑)」
──ワクワク感が伝わってきます。
「タイニーハウスを作るときには、昔からやりたかったことだから少し緊張して儀式めいていましたね(笑)。でもみんな60代になると、本当はやりたかったことってあるんじゃないかって思う。僕は映画が関係していないとモチベーションが上がらないので(笑)、タイニーハウスの様子は豊岡劇場というミニシアターの応援動画としてYouTubeにもアップしています」
──若い世代からも「やりたいことが見つからない」という言葉を聞きますが、何かアドバイスはありますか?
「やっぱり初期衝動を感じるものをやるっていうのがいちばん大事なんじゃないかと思います。例えば、周りに言ったときに納得はしてもらえるけれど、実は自分のモチベーションは薄れているっていうものより、誰も理解してくれないかもしれないけれど、本当はこっちがやりたいんだよっていうほうが大事。それは何でもいいと思うんです。例えば女装してみたいとか、人に危害を加えること以外で、人には言えないことだったとしてもやってみたいこと、それをやってみればいいんじゃないかなって思います」
──初期衝動って見落としがちですが、原動力として大事なのですね。
「例えば、“ハッ”って目が覚めたときにベッドの上で、身体中にチューブがつながっている。もう自分が死ぬときまで管は取れないという瞬間がいつか来るかもしれない。“ああ……やっておけばよかった”というふうにならないために、僕は映画以外ではタイニーハウスを作っとかなきゃと思いました。そうやって、自分がベッドの上にいるときのことをしょっちゅう考えちゃいますね。子どものころは20歳になるなんてすごく先だと思っていたけれど、そのときは確実に来ましたし。気づけば、63歳になっていますからね」
今の時代に戦争映画を作る意義
──作品の話に戻りますが、『野火』(※)を拝見して、戦争について改めて考えるきっかけになりました。新作も戦争をテーマにされているということですが、今まさにウクライナとロシアの戦争が起きている状況の中で、戦争映画を製作する意義は何だと思いますか?
「それはもうシンプルに(戦争に)近づかないようにするためです。戦争がどういうものか、感覚で感じてもらう。今は戦争に動いていく意見のほうが多くて、戦争はいけないっていう実感を持っている人が年代的に少なくなってきている。僕が映画を撮ったことでそのバランスは変わらないかもしれないけれど、それでも作らなければという思いが重なっていきました」
(※)日本軍の敗戦が色濃くなった第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島で、塚本晋也演じる田村一等兵は結核を患い、部隊を追い出されて原野をさまよう。空腹と孤独、灼熱の環境と戦いながら、田村が見たものとは……。戦争における人間の残虐性をリアルに描いた作品。
──『野火』は確かに、鮮烈な印象が残る映画です。
「戦争映画って、誰もが知らなかったヒーローや、被害の記憶を描かれることが多い。でも日本人も加害者だったり、人肉を食べるような悲劇も起こっていた。“そんなのはフィクションでしょ”って言う人もいるけれど、実際には戦地ではざらにあったんです。そういう悲惨な側面を少しでもわかってもらいたい」
──映像で追体験する部分もありますね。
「ウクライナで戦争が起きてしまったとき、気持ち的にはそれまで緊張して生きてきたのに、世界のタガがはずれてしまった、みたいな衝撃がありました。恐ろしいことなんですけれど……。難しい議論ではなく、実感を持って戦争に近づかないようにするっていうのを常に考えています。『野火』を作っている間に見つけてしまった重要なテーマの映画をこの3年間、準備しているんですけど。それは鉄のハンマーを脳天に打ち下ろすようなくらい、『野火』と比べても相当なパワーを持った作品になると思いますね」
──塚本さんの怒りや苛立ちのようなものは、『野火』からも伝わってきます。
「特にウクライナで起きている戦争を見ていると、どうして世界は暴力以外の方法で止められないのかなって悲しくなりますよね。あそこまで傍若無人な行いを止められない。人類ってこのレベルかって思うと(平和的解決には)まだ遠いぞって感じるんですよ。日本以外のところでは恐ろしいことがいつも起こっているけれど、どうも現実感がない。そこに危うさを感じます。自戒を込めて、ですが」
──確かに、世界の情報を誰でも見られるようになりましたが、リアリティは欠如しているかもしれないですね。
「戦争映画というと懐古主義的な感じがするので、違うアプローチがいるのだろうと思います。『野火』の場合は、お化け屋敷に行ったときのように、すごくどぎつくて怖い体験をしてもらって、帰るときにそれまでと違った感覚を持ち帰ってもらいたい。SNSでの殺伐とした雰囲気とかを見ていると、戦争が終わってからしばらく続いていた平和な時代の倫理観とは変わってきている。その先に、燦々(さんさん)と輝く未来が待っているならいいけれど(笑)。実際には懐古主義的にきなくさい時代に戻っているような感じもしちゃうんです。だからさまざまな角度から物事を見られる映画とかドキュメンタリーを見る機会があるミニシアターは、とても大事ですよね」
──次はどういう作品が撮りたいですか?
「今作っている小規模な戦争映画の次は、爆発的な強いやつを一発。先ほど言った準備している企画があるので、それが作りたいけれど、なかなか難しいなといったところですね。でも企画に賛同してくださった会社を信じて進めています。そのほか自分で作りたい作品をいろいろと考えています」
──以前、SF映画を撮ってみたいと言っていらした記憶があるのですが……。
「SFもありますね。いろいろと撮りたいジャンルはあります(笑)。もちろん好きな怪獣映画もいつかは……。でも今の時代に合った内容で、自分の考えに合って面白そうな企画ってなると、条件に合うものが限られてくるんですよね」
──いちファンとしては、60代になった塚本監督と田口トモロヲさんの作品も観てみたいですが……。
「ははは。それも面白いですね」
(取材・文/池守りぜね)
〈PROFILE〉
塚本晋也(つかもと・しんや)
1960年1月1日、東京・渋谷生まれ。14歳で初めて8ミリカメラを手にする。’88年『電柱小僧の冒険』でPFFグランプリ受賞。’89年『鉄男』で劇場映画デビューと同時に、ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞。主な作品に、『東京フィスト』『バレット・バレエ』『双生児』『六月の蛇』『ヴィタール』『悪夢探偵」『KOTOKO』『野火』など。製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などすべてに関与して作りあげる作品は、国内、海外で数多くの賞を受賞。北野武監督作『HANA-BI』がグランプリを受賞した’97年にはベネチア映画祭で審査員をつとめ、’19年にも3度目の審査員としてベネチア映画祭に参加している。俳優としても活躍。監督作のほとんどに出演するほか、他監督の作品にも多く出演。『とらばいゆ』『クロエ』『溺れる人』『殺し屋1』で’02年毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。『野火』で’15年、同コンクールで男優主演賞を受賞。その他に庵野秀明『シン・ゴジラ』、マーティン・スコセッシ監督『沈黙ーサイレンスー』など。ほか、ナレーターとしての仕事も多い。