ごめんなさいを言える自分がいるかどうか

 ダジャレ以外に、井上さんが健康を保つために常に実行しているのが、迷う前に行動すること。

「百聞は一見に如かず、と言うし、自分の目で確かめることって大事だと思うんです。人から聞いてわかった気になっているけど、実際に行って見ると、あれ? ってなる。なぜかと言うと、教えてくださった方の見方がぼくと違うから。いいとか悪いとかではなく、人によって受け取り方が異なるのだからしかたない。だから実際に見ることって大事、自分で判断することが大事なんです

 映画も舞台も、時間があったら見に行く。大傑作もあるけれど、大失敗作もある。でも失敗があるからこそ、よさがわかるのだと思うと井上さんは言う。

「これをやるとなんて言われるかな、どうしようかな、って迷うなら、やってみるべきだと思うのね。ぼくだって、しょっちゅうミスをしていますよ。でもミスをして、恥ずかしいとかダメだったって落ち込む前に、ごめんなさいを言える自分がそこにいるっていうことが、ぼくのひとつの測りでもあるんです。これで終わりってことではないから。知らないことがいっぱいあるんです。そのためにも行動して失敗して謝って。まだまだ、頑張っていかなきゃいけないって気持ちが大きいです」

 Twitterもそう。迷う前に行動あるのみと73歳の遅咲きデビュー。まずはガラケーでスタートし、最近になって、きれいな写真が撮れるからとスマホにアップデートした。今ではSiriとも仲よしだ。

新しい出会いに遭遇できる準備

「フォロワー数とかそういうのはどうでもいいの。たまたま井上順のツイートを見たときに、みなさんの肩の力が抜けて一瞬でもイヤなことを忘れてくれたら十分なんです。ぼくがこうして元気でいられるのは、人との出会い、物との出会い、時代との出会いがあったから。そして、そういう出会いに育てられてきたという自負があるんで、もっと欲張って、もっといろいろなことに遭遇したい。楽しいこと、うれしいことを、つぶやいていきたいですね」

 ところで井上さん、新しい仕事の日には新しいものを身につけるというのは本当?

「あはは、本当ですよ。お清めの気持ちなんです。確か、50歳すぎてから始めたのかなあ。例えばね、徹子さんの部屋に行くとしても、昔から知っている方ですから、なあなあになりやすいんですよ。プライベートでいるときはかまわないけど、人様の前に出るときに馴(な)れ馴れしいのはよくない、襟を正さなきゃいけないぞ、と思い至って。その証(あかし)として行動で示そうじゃないか! よしっ、新しいものをなにかひとつ身につけていこうじゃないか! ということで下着、靴下、ハンカチ、シャツ、ネクタイ、ジャケットなどなど、どれかひとつは新品を身につけて出るようになったんです」

 そのため、自宅のクロゼットには新品の下着や靴下、ハンカチなどのストックを欠かさない。いつでも新しい出会いに遭遇できる準備をしているのだという。「実はね」と井上さんがニヤリと笑う。

「今日もそうなの。おろしたての靴下なんですよ。本当はね、タグをつけたままはこうと思ったんだけど、今はタグがないのね。タグがあれば、ほら新品だよって見せられたのに、あはは! しゃべっているときに失礼なことをいっぱい言っていると思うから、そこらへんは、このきれいな新品で勘弁してもらえれば。メンゴ(笑)」

*このインタビューは明日公開の後編に続きます。後編では、50代で難聴になった井上さんが現実を受け入れて「生まれ変わった」ことについてうかがいます。

(取材・文/吉川亜香子)

<PROFILE>
井上順/1947年2月21日、東京・渋谷に生まれる。1963年、16歳で「田邊昭知とザ・スパイダース」に参加。最年少メンバーとして、堺正章とのツインボーカルでグループサウンズの幕開けに貢献する。グループ解散後の1972年にソロデビュー。『涙』『お世話になりました』などのヒット曲を生む一方で、俳優として最高視聴率56.3%を記録したホームドラマの金字塔『ありがとう』(TBS系)など数多くの作品に出演。1976年には歌番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の司会者に抜擢(ばってき)され、芳村真理とともに番組黄金期を築いた。ダジャレの名人としても有名で「ジャーニー!」「ピース!」など数々の流行語を生み出した。長年にわたりオールラウンドプレーヤーとしてテレビ、ラジオ、舞台、コンサート、司会、映画などで活動。2020年1月、渋谷区名誉区民に顕彰される。同年4月、Twitterを開設。「井上順のツイッターが軽妙で魅力的!」と話題になる。
◎Twitterアカウント @JunInoue20