橋田壽賀子賞を受賞したドキュメンタリー映画『人生フルーツ』は、愛知県のニュータウンに暮らした老夫婦、つばた英子さん(89)としゅういちさん(享年90)の物語。夫のしゅういちさんは2年前に他界したが、映画は口コミで人気を集め異例のロングランを続ける。人々を惹きつけてやまない夫婦の丁寧な暮らしぶりを取材してきた編集者・吉川亜香子さんに語ってもらった。
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名古屋市近郊のニュータウンに建つ小さな丸太小屋。住宅街とは思えないほど緑濃い一角に英子さんとしゅういちさんは住んでいる。
「玄関はありませんよ。お好きな場所からお入りください」と、しゅういちさん。
私が初めてつばた夫妻に会ったのは2008年の夏。当時、83歳だったしゅういちさんは、声に張りがあって、大股ですたすたと歩いていく。
そんなしゅういちさんに驚く私に、英子さんが教えてくれた。
「年齢のわりに元気なのは、25年間、毎朝欠かさず飲んでいる生野菜ジュースのおかげなのよ。“しゅうたん”には、好きなものを食べてと言っているの。嫌いなものは無理に食べることないからって。残すほうも嫌だと思うのよ」
お互いを「英子さん」「しゅうたん」と呼ぶおふたり。
英子さんはよい意味で大雑把。長年、主婦をしてきたからこその大胆な目分量と手加減でざくざくっと家事や畑仕事を進めていく。ケーキを作っていて、どさっと砂糖をかけて周りにこぼしてしまっても「ま、ふけばいいでしょ」と涼しい顔。
しゅういちさんは、こまやか。その緻密さを生かして、家全体のデザインから、書類や手紙類の管理、記録、整理整頓などを担当。
「ぼくの整理整頓の基本は、わかりやすく簡単に。誰でも片づけやすいように工夫しているんですよ」
色と形をそろえるのがしゅういちさん流。
「瓶でも缶でも同じ色、同じ形のものが並んでいるとなんだか楽しい仲間たちみたいな気がしていいですよね」
“なんだか楽しい”それは、つばた家の暮らしにおける大切な要素なのだ。
2015年春。書籍『ひでこさんのたからもの。』の製作が始まった。しゅういちさんは90歳、英子さんは86歳になっていた。
6月の暑い日。携帯に着信があった。表示は「つばたさん」。嫌な予感がした。いつもは手紙でのやりとりだけ、電話がかかってきたことはなかったからだ。
「主人が亡くなったの」「でもわたし、本は最後まで作るから。きちんとやりますから。大丈夫だから」
……しゅういちさんが亡くなった。
「お昼寝をしたまま、起きてこなかったの」という英子さんの声が頭に響いていた。
繊細な心を持つしゅういちさんは、悲しい話や出来事が大の苦手だった。新婚時代、英子さんに「生活費が足りない」と言われて数日間、暗い顔になったこともあるほど。だからこそ、「なんでも楽しく」をモットーに暮らしていた。
その精神は、しゅういちさんが亡くなったいま、英子さんに受け継がれている。
「家事でも畑でも、いっぺんにやろうとするから嫌になるの。明日でもいいやと思えば、気分も楽でしょ」
料理も畑も、今日中に終わらせようとはせず、少しずつがちょうどいい。なぜなら「楽しくやる」がしゅういちさんのモットーだったから。
ひとりになった英子さんはきょうも「少しずつ」家事をこなしながら、「楽しく」過ごしている。
ご夫妻の幸せな記憶は、映画や本の中にたくさんたくさん詰まっている。
(週刊女性2017年5月23日号掲載)