真っ赤なスーツも抜群に似合う岩下志麻。背筋がピッと伸び、後ろ姿さえも神々しかった 撮影/矢島泰輔

 1か月ほど卑弥呼の役をひきずったあとは、虚脱状態にも陥ったという。

「いつもそうなんですが、このときはひどくて“私から女優をとったら何もない、ただの能なし女だわ”なんて思ってしまって……。本当に空っぽになるんですね。でも、しばらくして次の役がくると、また少しずつ自分の中が満たされていく。“極妻”のときなんて、撮影の間じゅう、家に帰ってからも威勢がいいんですよ。口調や性格まで変わってしまうらしいの。夫に何か言われて“はい”と答えるのも、あのときはドスを効かせて“なんや?”という感じ(笑)。篠田はわかっているから“おお、怖い怖い”と笑っていましたけどね。彼が映画監督じゃなかったら、絶対に逃げられてますよね

女優の“なれの果て”を演じてみたい

 岩下は中学生のころから、精神科医を目指して勉学に励んでいた。近所に精神を病んだ方がいて「どうして人は精神を病むのか分析したい、そして治してあげたい」と思ったそうだ。ところが猛勉強をしたあげく、高校時代に身体を壊して留年してしまう。落ち込んでいた彼女に「ドラマに出ないか」とすすめたのが、新劇俳優だった父・野々村潔だった。

「考えてみれば役柄をもらって、その人間を分析していくのは精神科医につながるものがあるのかもしれません。女優はさらに、自分ではない別の人になるという意味で、化ける楽しみがある。すごいエゴイストの役をやったりすると、“私の中にもそういう面があるのかも”と思ったりしますしね。ありとあらゆる人間になれるのが、役者の快感でしょうね」

 学生時代を「ガリ勉のつまらない子だった」と岩下は振り返るが、その「もっと深く知りたい」という欲求が、深い役作りに今も大きく反映しているのだろう。

高校時代の岩下志麻。登下校中も単語帳を開き、深夜まで勉学に励んだ時期もあったという

 あらゆる人間を演じてきた岩下が、これからやってみたいのが、グロリア・スワンソンが主演した60年代のアメリカ映画『サンセット大通り』の日本版だという。この映画は、落ちぶれた女優が今も人気があると勘違いして、だんだんと狂気の世界に入っていき、最後には殺人を犯してしまうというストーリー。

「数年前に見返したら一段とやりたくなりました。この映画の日本版でね、“女優のなれの果て”みたいな感じを演じられたらいいなと思うんです。私は昔から、“狂気”を演じることには非常に興味がありますね」

 女として、女優としての痛々しいまでの矜恃(きょうじ)を、岩下ならどう演じるのだろう。すぐにでも見たくなる。

「今まで、50代も60代も70代も、その年代なりに“生き生きと輝いていたい”と思ってきたんです。でも、80代は“老い”と“死”に向き合うしかないわけで、もちろん不安はありますよ、このコロナ禍も含めて。だけど、不安を抱え込んでいてもしかたがないので、できる限り穏やかに平和に、楽しいことにふれてニコニコと笑顔を忘れずに生きていきたい。最近、特に強くそう思いますね」

 カッときてもニコッと笑う。「笑顔は大事よ」と、岩下志麻はとびきりの笑みを見せて華麗に去っていった。ふわりとした、温かい雰囲気を残して。

(取材・文/亀山早苗)


【PROFILE】
岩下志麻(いわした・しま) ◎1941年1月3日、東京都生まれ。両親がともに新劇俳優の家庭で育ち、17歳のとき、NHKドラマ『バス通り裏』で女優デビュー。'60年、成城大学入学と同時に松竹に入社。さまざまな映画作品に出演し活躍の場を広げる中、'67年に篠田正浩監督と結婚し、同年、2人で独立プロ『表現社』を設立。これまでの出演作は120本を超え、『はなれ瞽女おりん』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、『五辨の椿』ではブリーリボン賞主演女優賞を受賞。趣味は陶芸やプロ野球観戦など。

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【筆者】
亀山早苗(かめやま・さなえ) ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震、ひきこもり問題など、ノンフィクションを幅広く執筆するほか、インタビュー記事も多数手がける。著書に『人はなぜ不倫をするのか』(ソフトバンク新書)、『不倫の恋で苦しむ男たち』(新潮文庫)などがある。