「優しい子だからこそ…」
佐藤一家が引っ越してきたのは39年前。当時、大手自動車メーカーで働いていた三郎さんが20年近いローンを組んでマイホームを新築した。
聖一容疑者には妹がおり、一家4人の暮らしぶりは周囲には穏やかにみえた。
「物静かな一家です。ご両親は控えめな性格で、聖一くんと妹さんもおとなしい子。子どもたちはとっくに自立し、三郎さんが定年退職されてからは、ご夫婦で仲よく買い物に出かける姿も見かけました。お孫さんが遊びに来ることもあって幸せそうでした。でも、三郎さんが認知症になっていたとはまったく気づかなくって……」
と近所の主婦。
もともと無口だったという三郎さんは近所を徘徊(はいかい)することもなく、室内で暴れているとは想像できなかった。
聖一容疑者の母親はこの主婦に「息子とまた一緒に暮らすことになったの」とだけ話し、ほとんどの近隣宅に認知症のことを伏せていた。一家は静かに病気と闘っていた。
近所の男性は、母子の心中をこう推しはかる。
「認知症のことはご近所さんにも打ち明けにくかったのではないか。そんなに親しい付き合いをしてこなかったわけだし、ずっと家にこもっていれば周囲にはわからないから。ただ、言われてみれば、ここ最近は聖一くんの母親が買い物に行く姿ぐらいしか見たことがなかったかな」
聖一容疑者は地元の小・中学校などを経て県内の私立大学を卒業。近所では「優しい子」で通っている。10代のころは非行に走ることもなく、反抗期さえ窺(うかが)えなかった。
同級生は「そんなやついたかな、ってくらい目立たない生徒」と振り返る。
別の近所の男性は言う。
「優しい子だからこそ、仕事を辞めてまで介護生活に踏み切ったのだろう。認知症の介護は、やった者にしかわからない過酷さがある。だからといって手を出してはいけないんだけれども、優しい性格ゆえに、さまざまな忍耐を強いられる介護生活はつらかったのではないか」
三郎さんが暴行を受けてから亡くなるまでの数日間に年は明けた。3日未明、父親と同じ部屋で寝起きしていた聖一容疑者は異変に気づき、救急隊が来るまで必死に救命措置を続けていたようだ。自宅の玄関は今も正月飾りがかけられたまま、はずされるタイミングを失っていた。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙「法律新聞」記者を経て、夕刊紙「内外タイムス」報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より「週刊女性」で社会分野担当記者として取材・執筆する