病室の様子。眺めもよく、きれいな部屋だった 撮影/若林理央

「私が話を聞きますから」

 その後、血液、エックス線検査、CTの検査を受けた。エックス線技師と臨床検査技師も私にストレスを与えないように、丁寧な言葉遣いで接してくれた。

 看護師が病室を離れた後、咳込みながらも安心感に満たされて眠りについた。

 個室の扉が開いた音で目が覚める。小柄な若い女性が検査結果を説明しにきた。

「すべて、とてもきれいでした」

「“きれい”って、いい言葉だなあ」寝ぼけまなこで、そんなことを思った。

 彼女は卓上カレンダーを取り出し、日付を示す。

「今の状態なら退院は23日か24日ですね。平日は毎日スマホに電話します」

 彼女は医師だった。忙しさを表情に出さず、病室にいる間、しっかりと私の目を見て話していた。

 その日は、入院するまで食欲がなかったのがうそのように、出された夕食を半分以上、食べた。

 7階の窓から見える東京は、夜になるときらきらと輝きだす。

 ちまたでは「コロナ差別」という言葉もよく聞く。感染するまで、医療従事者の方々と新型コロナ患者の間には隔たりがあると思っていた。

 その後も毎日、担当の看護師が変わった。担当者が忙しいときは他の看護師が来ることもあるが、全員が対等に接してくれた。これは、入院した病院の方針だったのかもしれない。

 前編で夫も新型コロナ陽性だったと書いたが、彼の場合は判明したのが夜だったため、保健師からヒアリングを受けたのは私が入院した日だった。その翌日、夫は私と異なる病院に入院した。状態が思わしくなく、病院の判断で個室になったとLINEでメッセージが届いた。

 夕方、その日の担当看護師に夫の話をした。彼女は大きくうなずいてくれた。

「言ってくれてありがとう。私たちは、新型コロナで入院している患者さんのご家族の状態も把握したいので助かります」

 夫は同じ病院ではないから、こんな話は迷惑かもしれないと思っていた。だが、彼女は今「ありがとう」と言ってくれた。

 患者の同居家族が新型コロナ陽性になることは珍しくないだろう。そして多くの場合、別々の病院になる。

 そんなときは孤独感が募る。日夜、病と闘う人たちと向き合っている医療従事者は、私の想像以上に患者の気持ちを理解していたのかもしれない。

「心配ですよね。何かあったら私が話を聞きますから」

 放たれた言葉は力強かった。

 もちろん、多忙な看護師を自分が不安だという理由だけで呼び出すことはしない。でも、彼女の言葉は私の胸をうった。

 その後、夫の病状は快方に向かった。それを同じ看護師に報告したとき「よかった」とほっとした笑顔で言ってくれた。