クーベルタンの名言の真意とは?

 憲章を読んだ私が「そうだったんだ」と思ったのは、次のような一文です。

《オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない》

「国家間の競争ではない」という割には、国によっては、金メダリストが一生優遇されたり、逆に、期待されていたのに失敗してしまったアスリートが冷遇されたりということがあると思いませんか?

 日本がオリンピックに参加し始めた黎明(れいめい)期でも、日本国民の期待を一身に背負ってしまった選手たちが、その巨大なプレッシャーに大いに苦しめられたのです。

 さらに、憲章を見ると、別の部分には《IOC と OCOG (組織委員会)は国ごとの(メダル数の)世界ランキングを作成してはならない》とも明記されていました。

 今、毎日のように国別のメダル獲得数ランキングがニュースメディアで報道されていますが、それもオリンピック憲章の精神からすれば、やってはいけないことなのですね。

 この「オリンピックはメダルの数を国家間で争うものではない」という言葉から思い出されるのは、「近代オリンピックの父」と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵の、次の言葉ではないでしょうか?

「オリンピックは参加することに意義がある」

 クーベルタン男爵がこの言葉を言ったのは、第4回ロンドンオリンピック(1908年)のときのこと。当時は、アメリカとイギリスの対立が続き、両国間に不穏な空気が流れていました。

 また、それまでは個人での参加だったオリンピックが各国のNOC(国内オリンピック委員会)を通じて行われるようになり、国旗を用いた入場行進が初めて採用されたのもこの大会からのこと

 どうも、世界が、きな臭くなり、オリンピックに国家の威信のようなものが反映されつつあったのです。

 そんなロンドン大会さなかの日曜日、セントポール大寺院で行なわれた礼拝で、司教が選手たちの前で言ったのが「オリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」という言葉でした。

 この言葉を聞いて、「わが意を得たり」と感銘を受けたクーベルタン男爵は、イギリス政府主催の晩餐会において、この言葉を引用してスピーチを行いました。それがクーベルタン男爵の名言として、世界に広がったのです。

 オリンピック憲章には、このときのクーベルタン男爵の思いが反映されているというわけなのですね。

 私は、スポーツにおいて惜しくも敗れた選手が、勝者に対して握手を求めたり、ハグをしたりして勝利をたたえる姿が大好きです。そういう姿をオリンピックの舞台で見ると、オリンピックにも、メダルよりも大切なものは確かにあると思います。

 というわけで、現在メダルの獲得数が報道されるのは、決して国家間でメダルの数を競っているわけではなく、ちょっとしたサービスのようなものなのですね。

 とはいえ……。

「本当は、メダルを取ることがすべてではないよね。もっと大切なものがあるよね」ということをわかったうえで、それでもやっぱり、アスリートたちへエールを送りつつ、メダルの獲得に一喜一憂して、残りのオリンピックを楽しみたいと思います。

(文/西沢泰生)


【著者PROFILE】
にしざわ・やすお ◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。