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社会

【特集:戦争体験】「死は美しいもの」と教えられて終戦直後、母と青酸カリを求め

SNSでの感想
川上さんは「生まれたときから戦争一色、当たり前の日々だった」と話す
目次
  • 本当は生きていたかった

 終戦から76年──。戦争の怖さや苦しさ、悲しみなどを語り継ぐため、過去の週刊女性PRIMEや週刊女性の誌面から戦争体験者の記事を再掲載する。語り手の年齢やインタビュー写真などは取材当時のもの。取材年は文末に記した。(【特集:戦争体験】第8回)

 ◇

「肉も魚も野菜も食べ物は豊富、欲しいものは何でも手に入りました。満州での暮らしは夢のようでした」

 川上百合子さん(仮名・92)は、まるで昨日のことのように話す。

 南満州鉄道の職員だった父親の仕事の関係で1934年ごろから’44年まで、家族と満州に移り住んだ。ハルビンや吉林、新京など、満州の都市を転々とした。

「ハルビンではロシア人家族が同じ宿舎に住んでおり、母はロシア料理をたくさん教えてもらっていました。母が作ってくれたピロシキはとてもおいしかったです」

 料理上手だった川上さんの母・淑子さん(仮名)は、安くて質のいい食材がそろっていた満州でいつも家族のために腕をふるった。さらに、

「私たちが住んでいた家には日本本土にもほとんどなかった水洗トイレがありました。冬場はボイラーで沸かした蒸気が室内を暖めるので“家事もつらくない”と母が言っていたことを覚えています」

 物資も豊富で技術も最先端、日本との差は目を見張るものがあり、満州国はまさに『地上の楽園』だった。

 帰国後、生活は一変する。

 川上さんは’44年3月、弟の進学を機に母と3人で日本に戻った。

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