ルネサンスが起きた「3つの背景」

 そんなキリスト教会が中心で「やっぱり神って最高! 美術は神のためにあるべき」という文化も終わりを迎えて、ルネサンスが始まるのだ。では、「どうして流れが変わったのか」についてたどっていこう。

 まず大きな要因が、「キリスト教会が弱くなっちゃったこと」。当時、教会は『十字軍』という部隊をつくって「おらー! 聖地・エルサレムを返せー!」と、イスラム教と戦争をしていた。いま考えたら「懺悔(ざんげ)待ったなし」だが、聖職者だって、ときには戦争するのだ。

 それがきっかけで、西方から東方に遠征することになり、ヨーロッパの国が東方の文化を知り、貿易が始まる。すると、品物に混ざってネズミが入ってきてしまい、数億人単位で死者を出した感染症「ペスト」がヨーロッパにやってくる。人がどんどん亡くなってしまう状況に、聖職者は「ペストにかかるのは罪を背負っているからだよ。祈りが足らないのだよ」と説き、入信者もガチで信じていた。コロナ禍だったら「ちゃうちゃう! 早くワクチン打って!」とツッコみたくなるが、当時はそれほどまでにキリスト教中心だったわけだ。

ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』(ペストを表現した作品)

 ただ、当たり前だが、そんな聖職者自身がペストで次々に亡くなる。それで教会の信用は失墜し、たくさんの入信者を失う。また、そんな状況で十字軍の遠征もうまくいかず、キリスト教会は弱体化していくのである。

 そんななか、教会にかわってイタリアでパワーアップしていくのが、イタリア・フィレンツェの市民たちだ。東方との貿易が始まったし、繊維が飛ぶように売れた。

 なかでも「メディチ家」は銀行(両替商)なんかを始めて、もうウッハウハ。で、儲(もう)かりまくったから、自分で自治体(コムーネ)を作って運営するレベルにまで成長する。そして、このころから市民が「国」「教会」に加えて、芸術家の「第3のパトロン」になるのだ。

 また当時、(戦争ばっかりで何とも心が痛いが)、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とオスマン帝国が争っていた。そのあおりを受けて、ギリシャの学者がイタリアに移住。すると、彼らは昔のギリシャの資料を読解できるようになり、イタリアで古代ギリシャの文化が花開くのだ。

 今だと「Google翻訳」で一発だが、当時は他国の本を読むのにも移住が必要な時代だった。

「神のために……!」から「やっぱ人が大事っしょ」の思想へ

 ここまで流れを追ってきた「教会の弱体化」「市民のパワーアップ」「古代ローマ・ギリシャ文化の開花」が合わさった結果、世間はどうなったか。

「1000年くらいずーっと“神が最高”って思ってたけど、やっぱ人っしょ! われらはキリスト教が大事になる前の古代ギリシャ・ローマに帰るべきやで」と考えたわけだ。この「人が大事」という考えを「人文主義(ヒューマニズム)」という。

 ルネサンスとは、和訳すると「文芸復興」。これは「古代ギリシャ・ローマのアートへの復興」という意味だ。そして、逆にキリスト教が流行(はや)っていた1000年間は“文化が育たなかった時代”という意味で「暗黒時代」と呼ばれるように。手のひら返しがスゴい。

 そして、とにかく「神(想像上のもの)ばかり見てたらダメよ! そろそろ人間(現実的・合理的なもの)を直視しないと!」という考えがブームになっていく。これが、ルネサンスの思考だ。