20世紀に活躍した画家、サルバドール・ダリは奇人だ。くるんとカールしたおヒゲ、数々の奇行、溶ける時計の絵……。詳しくは後述するが、見た目も作品も、明らかに常人離れしている。
彼はあまりにキャラが完成しすぎて「どうしておかしくなったのか」や「何を表現しようとしていたのか」については、意外と知られていない。奇人・ダリが誕生した背景には、子どものときに両親から植えつけられた強烈すぎるコンプレックスがあった。
今回はダリが10代で背負った3つのコンプレックスとともに、彼の独特すぎる絵画の手法について紹介したい。
「長男の代わり」といわれた幼少期
サルバドール・ダリは1904年にスペインで生まれた。父方・母方ともに由緒正しき家系。言うなれば超ボンボン。現代の日本だったら東京・世田谷生まれ、慶應義塾幼稚舎育ちみたいな家庭で育つ。
彼には3つ上に兄がいたが、ダリが生まれる前に亡くなっていた。このことが、ダリの人生に大きな影響を与える。
1909年のある日、ダリ少年は両親に長男のお墓の前へと案内される。そして現代風に言えば「実は兄がおるんやで。あんたが生まれる前に死んだけど」と、デカめの爆弾を投げられるのだ。ダリは「まじか。妹しか知らなかった」と5歳ながらに衝撃を受ける。ビビっているダリに両親はこう言った。「兄の名もサルバドール・ダリなんよ。まぁ言うなれば、あんたは兄の生まれ変わりやね」。
初めての子どもを亡くした両親の悲しみもわかるが、このセリフはあまりにムゴい。ダリは当然「僕ってお兄ちゃんの代わりなんだ……」と悲しむ。そして健気にも「兄の代わりとして生きなければ両親に愛してもらえない」と考えるようになってしまうのだ。
そんな彼はとても知的で早熟な子でありながら、意味もなく友人を橋から突き落とすなど、既に奇行はあったようだ。アイデンティティを喪失したことによる承認欲求が、幼い彼を奇行に走らせたのかもしれない。
ダリは母親が元画家ということもあり、6歳ごろから絵を描き始める。母親は長男の生まれ変わりという背景もあってダリを溺愛。「ちょっと奥さん、聞いて! わが子の絵がすごいんですけど!」と絶賛するなど才能を応援してくれる存在であり、彼の心の拠り所だった。
しかし父親が、母の優しさを凌駕(りょうが)するほどヤバかった。ダリに梅毒(性感染症の一種)の写真を見せては怖がらせるという、トリッキーすぎる虐待をしていたのだ。あれ、毒親ってそういう意味だったっけ……。
画像検索はおすすめしないが、梅毒の写真はそこそこインパクトがある。ダリは子どもながら「こんな斑点できてしまうんか……性交渉って怖っ」とドン引きした。
その結果、ダリは極度のお母さんっ子として育つ。しかし、悲しいことに愛する母親は、彼が16歳のころにがんで他界してしまう。そして、ここでも梅毒パパの暴走が止まらない。ママが他界してから即座に、嫁の妹と再婚したのだ。つまりダリからすれば、叔母が急に母になった。破天荒パパがダリに重い現実を背負わせすぎたんです。
父親の“梅毒攻撃”と母親の死は、ダリの人生に強烈なインパクトを与えることになる。前者によって「女性恐怖症とED」に陥ってしまい、後者によって「マザーコンプレックス」になった。「強烈な自己承認欲求」も含めて、彼は10代という多感な時期に3つのコンプレックスを抱えることになるのだ。