何げない質問が、「言葉の暴力」にもなる

 この話とは別に、以前に私は、父の日の宿題として、「私のお父さん」という題名の作文を宿題に出した小学校の先生の体験を聞いたことがあります。

 その先生の生徒のひとりが、1年前にお父さんを交通事故で亡くしていて、そのことを作文に書いてきたのです。

 その子の作文には、お父さんが1年前に死んでしまい、今、お母さんが働きに出て自分を育ててくれていること、そして、早く自分が大人になってお母さんを楽させてあげたいということが書かれていました。

 作文を読んだ先生は、各家庭の事情も考えずに、安易な宿題を出してしまった自分の配慮のなさを反省し、その生徒に謝ったのでした。

 前出の楠田先生は言っています。

「英会話のレッスンとして、家族のことを尋ねる先生がいる。そういう教材もある。でも、最近両親が離婚したばかりの子がいるかもしれない。両親が交通事故で亡くなっていて、親戚のおじいさんやおばあさんに育てられている子がいるかもしれない。

 そういうことを、自分の一部だとして受け入れて、話すのに抵抗がない子もいるし、誰にも話したくない子もいる。“話したくないんです”と、言えない子もいる。

 だから、“子どもが答えたくないかもしれない質問はしない”、“そういうデリケートな質問を、英会話のペアワークとしてテキストに載せない”。そんな想像力が、教師には必要だと思う

 本当に楠田先生のおっしゃるとおりです。

 そして、それは教師に限ったことではないと思います。

「どうして結婚しないの?」とか「子どもはまだ?」などの質問は、さすがに、聞いてはいけないことだと社会的に認識されているでしょう。

 でも、相手の事情によっては、ごく普通の質問が「言葉の暴力」になってしまうことがあります。

 繰り返しになりますが、相手が生徒だったり、部下だったり、「あなたの質問に答えなければならない立場」の場合は要注意。自分と相手以外の人が周りにいるときなどは、質問ひとつで相手から恨まれてしまうかも……。

 100人の人がいれば、100通りの人生があります。

 人はみな、他人には言えない事情を抱えて生きていると思って間違いありません。プライベートに関わる質問をしなければいけないときは、想像力を働かせて、注意のうえにも注意を重ねるのが賢明です。

(文/西沢泰生)