この日のコーデのポイントは、黒基調なファッションのなかでひときわ目立つ、黄色の腕時計。「この色が好きでね〜気づけばいくつも買っちゃうんですよ(笑)」 撮影:伊藤和幸

仲間や先輩、ジャニーさんの影響はやはり大きい

──少年隊は、デビューまでの道のりが長いですよね。例えば先日、錦織さんがとあるラジオ番組で「海外でもアルバム1枚分くらいレコーディングしていた」とおっしゃっていたのですが、それもデビュー前のことですか?

「僕らは、レコード・デビューする前に海外レーベルとも契約していて、アメリカのミュージシャンであるマイケル・センベロのプロデュースで、すごくカッコいい英語曲を何曲か作っていたんですよ。それが、納得いく形になる前に、日本での活動が忙しくなっちゃったんじゃないかな。当時、マイケル・センベロの自宅でレコーディングしていたんだけど、彼が制作に没頭し始めたら、僕は庭にあるプールで遊んでいました(笑)。そのころは、アメリカのテレビ番組『MTV SHOW』に出て、スティーヴィー・ワンダーやダイアナ・ロスとも会っているんですよ

──ほかにも、さまざまな経験を積まれていますよね。先日、かつて少年隊がバックで踊っていた近藤真彦さんのコンサートにも足を運ばれたとか。

「はい。マッチさんとは頻繁にやりとりしているわけではないのですが、やはり人生の先輩で、歳上でもあるし、尊敬できる部分が多いです。そのコンサートでも、“やっぱりカッコいいよな”とか、“この演出、自分でもやってみたいな”とか、いくつになっても教わることがたくさんあって、日々、勉強させてもらっていますね。それに、人間って一度なまけてしまうと、どんどん楽な方向に進んじゃうじゃないですか。そうならないためにも、刺激は必要ですね!

 要は、みんなに楽しんでもらいたいんですよ。そのために勉強することばかり。マッチさんのコンサートでも、中野サンプラザでの平日2回公演で、満席になるのもすごかったし、ファンの方も曲ごとにペンライトを振りわけるなどされていて、やっぱり根強いファンの大切さを思い知りました。それを見て、自分のファンの方々も大切にしたいなと

「いくつになってもチャレンジし続けていたい」と力強く語るかっちゃんにパワーをもらいました 撮影:伊藤和幸

──そんな植草さんが、大切にしている言葉や座右の銘はあるのでしょうか?

「座右の銘といえば、ヒガシはこういう質問への受け答えが得意だよね。僕は、その場で何か答えたとしても、後日“そんなの言ったっけ?”って思うものもあり、反省するのですが(笑)、ネガティブなことは言わないようにしていますそれと例えば、周りの人に怒ったとしても、その場限り。基本的に1回注意したら終わりです。ネチネチと言うのも、言われるのも、お互いつらいでしょ?

──植草さんは、錦織さんや東山さんがご自身をジョークのネタにしても、笑って許されますよね。「本当はそうじゃないのに」と歯がゆいファンもいると思いますが……。

それを聞いたみなさんが笑ってくれれば、いいんです。そこで怒り出したら、それはエンタテインメントじゃないんですよ。ジャニーさんがいたら、きっと“You、面白くないよ”って俺が怒られます。ニシキは、ミュージカルの本番中でもどんどん笑わせてきて、吹いちゃうときもあったんだけど、ジャニーさんならそれも“笑うYouが悪い”って言うはず。

 以前にコンサートで宙づりになっていて、綱元さんのちょっとした操作ミスで壁にぶつかったときがあったんです。出血もあって“痛い! 痛い!”って言いながら袖にはけたあと、ジャニーさんが心配で駆けつけてくれたのかと思いきや、“YOU、(痛がるのは)芝居心がないよ!”って、怒られました(笑)。あんなにエンタメ心を大事にして、何から何まで見てくれていた人って、いなかったんじゃないかなあ。“ただ面白いことを言う偉い人”みたいに思っている後輩もいるかもしれないけれど、僕らが出会ったころのジャニーさんは、まだまだ元気だったから、本当に細かい部分から教えてくれました

──ジャニーさんの最高傑作は少年隊だ、というエピソードもありますもんね。

「それは人づてに聞いたことがありますが、自分たちが最高かどうかはさておき、いちばん時間をかけてデビューさせたという点では、僕らだと思いますね。だって、歌もダンスもさることながら、英会話レッスンまで通わされたんだから。ボーカルレッスンも受けていたし、ダンスも国内外のすごい方々のところにも習いに行きましたし、とにかくエンタテインメントに必要なものは、何でも学ばせてくれました。アメリカのショーもいっぱい見せてもらい、フランク・シナトラとサミー・デイヴィスJr.、ライザ・ミネリの3人が来日したとき(1989年)も、アメリカナイズされた雰囲気を肌で感じられました。

 それと、僕らは合宿所時代に、アメリカにいらしたジャニーさんのお兄さんから現地の映像をたくさん送ってもらって見ていました。マイケル・ジャクソンやジャクソン5、オズモンド・ブラザーズなどの足の動きなどは、まだ日本人がほとんど知らない時からコピーして、例えば『ブルドッグ』(フォーリーブスのカバー)の間奏の部分で取り入れてみたり。そういう意味では、僕らがいちばん恵まれていた気がします。最高のものを見せてもらってきたからこそ、それに近づこうとし続けていたことで今がある

──その努力が、今年ソロで開催されたランチタイム&ディナーショーにも生かされているんですね。

「確かに、(パフォーマンスする曲数を)40数曲から減らさないなど、ハードルを下げないのは影響が大きいですね。ジャニーさんは、お客さんのことを第一に考えて、“これもやってみない? あれも入れてみない?”って、どんどん追加していくんですよ。だから僕も、同じように動いちゃう。今後も“ジャニーさんならどうするだろう?”って考えながら動く部分があるでしょうね。ジャニーさんからの教えは本当に勉強になりましたし、偉大な方ですよね。

 でも、ジャニーさんがいつもコンサートやショーのあとに注意するのは、歌や振り付けじゃなくてMCのことが多いんですよ。“YOUたちMC面白くないよね、もっと面白いことしゃべれないの?”って、よく言われました。そういうのを俺たちが学んで、ニシキのその部分をコピーしたのが中居(正広)だろうね(笑)。ニシキの天才的なトークを、ずっと見ていたんだと思う。

 あとは、グループの中にニシキがいたことが大きくて、彼は僕とヒガシよりも1つ年上だけど、精神年齢的にはもっと大人に感じるくらい、センスがずば抜けているんです。音楽についてもいろいろ知っていたし、ジャニーさんのアイデアを受けたうえで、さらに自分から“こういうのはどうですか?”と持っていっていました。

 合宿所時代、真夜中に起こされて、“こんなカッコいい音楽をやりたい”って、彼が自分で編集したカセットテープをリビングで聞かされたことも覚えています。ダンスでも、彼の柔軟さは誰にもマネできないんじゃないかな。なんかね、あのしなやかさは関節の動きから人と違うんですよ。

 ヒガシはヒガシで独特で、性格も趣味も俺と真逆なので、若いときにはたわいもないことで“ちゃんとやれよ”、“やってるよ”みたいな言い合いを何度もやりあいましたね。それを横で笑って見ているのがニシキ(笑)。三者三様のまま、個性を生かしてやってこられたのがよかったんだと思います。それぞれのいいところだけを伸ばそうというのも、ジャニーさんの教えですね

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 話を聞くうちに、植草はジャニー喜多川をはじめとするスタッフやファンなど、周囲の声に耳を傾けたり、3人としてのバランスを考えたりと、常に客観的に少年隊を見つめてきたことがよくわかった。つまり、天才肌の錦織、ストイックな東山に、周囲の状況を理解しつつ目標に向かって邁進(まいしん)する植草がいたからこそ、スーパーアイドルの3人組・少年隊が生まれたと言えるだろう。次回は、そんな植草のソロ曲の魅力や、近況と今後の予定についても深掘りしていく。

《取材・文/臼井孝(人と音楽をつなげたい音楽マーケッター)》


【PROFILE】
植草克秀(うえくさ・かつひで) ◎1966年7月24日生まれ、千葉県出身、O型。1980年代前半に少年隊のメンバーとして活動を開始し、1985年12月、シングル『仮面舞踏会』でレコード・デビュー。以降、9作のシングルでオリコン1位を獲得。少年隊の活動と並行し、ソロとしてドラマ『さすらい刑事旅情編』や『渡る世間は鬼ばかり』などの人気シリーズにもレギュラーで出演。2020年末にジャニーズ事務所を退所し、2021年1月より新会社「2steps」を設立。

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