【4位】電車内でタバコが吸えた
第4位にランクインしたのは「電車内でタバコOK」という今では考えられない事実。
「ヘビースモーカーの父は、電車でもバスでも飛行機でもどこでもタバコを吸っていました。フタが開閉できるタイプの、備えつけの小さな銀色の灰皿を覚えています」(長野県・44歳女性)
という声のとおり、公共交通機関のほとんどで喫煙可能だった。
「映画館でもファミレスでも学校の職員室でも、吸えない場所はありませんでしたね(笑)。それがいまでは、ドラマの喫煙シーンにさえクレームが寄せられるそう。タバコはもはや、小道具としてすら許されない存在になってしまいました」(木村さん)
第10位にあるように、タバコは子どものおつかいの定番でもあった。
「今はタバコだけでなく、お酒の販売も20歳未満はNG。子どものおつかいなら問題ないと思うのですが、この2つだけはことさらに悪者にされがちです」(木村さん)
5位以下にも“郷愁”を誘うキーワードが
第5位は、同率で3項目がランクイン。
「雑誌の文通コーナーに、個人の住所と名前が当然のように掲載されていました。高校生のときに好きなバンドを通じて文通を始めた相手とは、今でもメールでつながっています」(神奈川県・46歳女性)
と、個人情報の取り扱いも当時はゆるゆる!
「タレント名鑑やプロ野球選手名鑑に、芸能人や選手の個人宅の住所が掲載されていた驚きの時代です(笑)。ストーカーなんて言葉すらなく、平和そのものでした」(木村さん)
いっぽう、学校ネタは“昭和あるある”の宝庫。中学生のころにゴミ箱を持って直行した焼却炉は、いつの間にか姿を消していた。
「お笑い芸人の博多大吉さんが、中学時代のあだ名が“焼却炉の魔術師”だったことを『アメトーーク!』(テレビ朝日)で明かして大反響を呼びました(笑)。焼却炉と聞いただけで、用務員のおっちゃんの顔や、掃除をサボった思い出が浮かびませんか? 40代以上には、焼却炉という言葉自体が郷愁を誘うキーワードなんです」(木村さん)
第8位の「わら半紙」も、すっかり見かけなくなった。
「学校の便りや小テストなどの印刷物は必ずわら半紙。消しゴムで消すと黒くなり、すぐ破れていたのを思い出します」(滋賀県・42歳女性)
ランキング外の“あるある”
ランキング外では、
「駅のホームに、痰(たん)を吐く専用の“痰ツボ”があった」(大阪府・61歳男性)
「そこらじゅうに野良犬がいた」(大分県・47歳女性)
「給食の献立にクジラ肉があった」(山口県・49歳女性)
などの声が。また、今なら一発で違反になるのだが、
「原付バイクはノーヘルでOKでした。子どものころ、母が運転する原付の後ろに乗るのが楽しみでした」(大分県・47歳女性)
ちなみに、ヘルメットの着用が義務付けられたのは昭和61年。それまではノーヘルでも罰せられることはなかったのだ。ただし、昭和においても原付バイクの2人乗りが認められていた時代はない。言い換えれば、「まぁ、大目に見よう」がまかりとおっていた大らかな時代だったからこそ、この2人乗りの思い出は生まれたのだ。
「今では、映画やテレビで犯人が逃走するシーンでもシートベルトをするほど(笑)。不自然極まりないですが、“けしからん”とクレームがくるわけです。ある意味、生きづらい世の中になってしまいました」(木村さん)
昭和は遠くになりにけり──。
(取材・文/植木淳子)
《PROFILE》
木村隆志 ◎コラムニスト、テレビ解説者。ウェブで年間約1億PVを記録するほか、『週刊フジテレビ批評』などの番組に出演。著書に『トップインタビュアーの「聴き技」84』など。