現場が女の子を大好きだから

 しかし、それまでのパズルたちとは決定的に違っていたのが、

かわいい要素というか。そこらへんはコンパイルという会社がそういうモノ作りをしていたから、ずっと。作り手であるゲームオタクの男の子、女の子たちは、そういうかわいいキャラが好きなんですよ。もうそれだけですよ。結局、彼らの好みでそういう路線がもともとあったということですよね

──私もあの頃にプレイしていて、子ども心に斬新に思えたんですよね、パズルゲームに女の子のキャラが大きく出てきて。

歴史を見ると結局、コンパイルというのがゲーム業界で全部初、みたいなんですね。例えばシューティングゲームを作ったときに主人公を女の子にした。当時ゲームを作る男たちがやっぱり、正直に言って若い女の子が大好きだから。なんか女の子を主人公にしたがるんですよ」

 1988年の『アレスタ』というシューティングゲームがそれ。

「でも最初に言われたんですよ、ユーザーから、“なんで女の子が主人公なんだよ”って。作った本人たちは意識していないから。後から聞いて、女の子が主人公のシューティングゲームは初めてだったんだ、でもいいじゃんと思って。すぐ何でもいいじゃんと思っちゃうんで。やっぱり自分のオリジナルで何かしたいですよね

──当時は、まだテレビゲームって男の子がプレイすることが多かったり、主人公が勇者っていうイメージが色濃かったじゃないですか。なんていうか萌え的要素がある女性キャラを前に持ってくることはギャンブルというか、ちょっとリスクは感じなかったですか?

いや、リスクじゃなくて、現場が作る。彼らは自分の好みで。もう女の子が大好きだから。ギャルが好きだからギャルを出したい、それだけです。それをもう許容したというか。そういうことを僕は許すタイプですね。ダメだと言わない。“えっ? そんなことすんの。面白いな”だから

「ああいう世界観を許容したのが自分」 撮影/伊藤和幸

集大成が『ぷよぷよ』

 一朝一夕ではなく、初期から何年も続けてきた、ある事業が功を奏したそうで、

「雑誌『ディスクステーション』っていうのを毎月出してたんです。付録にフロッピーをつけて、そこにうちのゲームのサンプルとか、新しく作ったちょっとしたゲームも入れてね。だから、いっぱいゲームを作れるんだよね。そうするといいものできちゃう、徐々に」

──それの集大成が?

1992年の『ぷよぷよ』ですよね。自分が42歳のとき。1982年の創業からちょうど10年で、まさに結実したということですね。いろんなノウハウが

──こんなに女性に受け入れられたというのはどうして?

“わかりやすい、遊びやすい”コンパイルがずっと作ってきたのは、そういうものだから。『ぷよぷよ』だけがそうじゃなくて。別に意識したわけじゃないんで。もともとそう作ってたんです。面白おかしく誰でも遊べる。あるいはクリックで言うとワンクリックで遊べるみたいなのが前提だったんで

 キャラクターコンテンツとしても大成功。

「彼ら(コンパイルの制作陣)が、いつもいろんなキャラクターを作ってたのね。そういうのが効いた」

──積み重ねの“連鎖”が大きなヒットにつながったんですね。最盛期は?

1997年かな? 年商70億円