1990年代に最高653万部(94年)という、とんでもない部数を発行していた『週刊少年ジャンプ』(集英社)。その“ジャンプ黄金期”に夫婦で連載していたのが、妻で『WILD HALF(ワイルドハーフ)』(96〜98年)の作者・浅美裕子先生と、『アウターゾーン』(91〜94年)の作者で夫の光原伸先生。
インタビューの第1回『少年ジャンプ黄金期『アウターゾーン』『WILD HALF』の作者は夫婦だった!いま振り返る結婚と仕事の舞台裏』では、なれ初めから結婚、連載当時の裏話を聞きました。第2回では、現在に至る漫画家人生を振り返ってもらいます。
億って、使えばすぐなくなっちゃう
──でも、あれですよね。20代、もしくは30歳ぐらいで大金を得たわけじゃないですか。ちょっと麻痺しなかったですか?
浅美「私は『WILD HALF』の前、24歳の時に『天より高く!』っていう馬の漫画を描いて、あれが20週で終わってるんですね。当時のジャンプって、20週で終わる作品でも単行本を5万部は出してもらえたんです。でね、たしか2巻まで出たから、それでね、1千万円を超える金額が入ってきたの。当然ながら浮かれてワーッて使って、“ない! ない! お金って使えばなくなる!”って。それで私は学習しました。もう次は使わないぞって」
光原「僕は『アウターゾーン』の連載をやるまでは貧乏でしたからね。週刊連載するまでは読み切りをどれぐらい描いたかな、5本ぐらいかな。2~3年で5本ぐらいかな。バイトしてて。でも読み切りを描くにはね、バイトを辞めないといけないから。だから貧乏だったんだけど、連載したらそれなりにお金は入ってきて、まあ無駄遣いはしましたよね、結構」
浅美「この人が『アウターゾーン』の連載を終了して、およそ2年後の96年から付き合っていたわけだけど、その時のお金の使い方を見て、“ダメだな、これは。しっかりしないと”って思いました(笑)」
──どういう使い方をしてたんですか?
光原「レーザーディスクをいっぱい買ってた。あと、その頃はプロレスファンだったので、アシスタントを3~4人連れてリンクサイドを全部買ったりとかね。まあ無駄遣い」
浅美「それは無駄ではないじゃん。楽しい、いいことじゃん。それはやっても全然いいよ。思い出が残った」
──車を買ったりとか、宝石を買ったりっていうことはなかったんですか?
光原「そういうのはない。連載でお金が入るとね、アパートを買う人とか割といたりしたんだけど、僕の場合、そこまではね」
浅美「そうだよね。マンションを買っちゃう人いるよね。1棟買っちゃって大家さんになるっていうね。600万部じゃそこまではいけないね。ささやかにやっていくしかない」
──でも億単位じゃないですか。
浅美「億って、使えばすぐなくなっちゃうんですよ。使えちゃうものなんです。何に使ったかわからないうちにお金ってなくなるんですよ」
光原「税金でね、ほとんど持っていかれるんです。所得税と住民税でどれぐらいかな。合わせて8割ぐらい取られていたような気もする。だから個人じゃなくて会社にしたら、もうちょっと節税できたかもだけど、僕はやっていなかったから」
──2~3年で600万部だから、もう一気にくる感じですよね?
光原「一番収入が多かった時は、一応ね。当時の宝くじで1等前後賞当たったくらいは。でもさっき言ったように税金で持っていかれるから残りがないんです」