あそこで終わらなかったら死んでいた

──また週刊誌で連載をやるように言われたらどうしますか?

浅美無理無理。体力的に無理

光原「若くないとできないです。ベテランの人で週刊連載をやっている人は、ちゃんとアシスタントとか使って、休みを取れるシステムを作っているから成立している。自分は当時、第2部が連載100回を超えたあたりで終わったんだけど、あそこで終わらなかったら死んでいたと思う」(※91年に連載が開始されて全10話でいったん終了したのが第1部とされ、しばらく後、同年に再び連載が始まり94年まで続いたのが第2部とされている)

浅美「それはそうかもね。危なかったよね」

光原どこにも出かけずにカロリー高い物ばっかり毎日食べているから、すごい太ってたんです、その頃はね。それでいて顔は死人みたいに蒼白(そうはく)。あと半年、連載が続いたら危なかったなみたいな。だいたいね、半年に1回ぐらいは、腹痛で2~3日寝込んでましたからね。寝込んでもちゃんと締め切りに間に合ったのが本当、信じられない」

オンライン取材に答える光原先生(左)と浅美先生

2人分の人生を買うぞ、みたいな気持ち

 妻のほうは堅実に将来設計をしていたから、現在の楽しい毎日につながっているようで。

浅美「私は個人年金を50歳から受け取るように設定したから、40代のころに(貯金が)“うわー減ってきた、減ってきた”みたいな時期はありましたけど」

光原「2年半から3年くらい『アウターゾーン』をやったけど、それ以降あまり執筆をやらなかったから、どんどん貯金が減っていって(笑)」

浅美「あの時に、あなたも家を買っていれば違ったんだろうけど。そしたら私の分は、その後の生活費に使えたのにって正直、思いました。でも、その時はまだ付き合ってなかったし。ただ読者の立場として『アウターゾーン』をずっと読んでる時に、この作家さんはこの連載が終わったら、すごい苦労するだろうなと思っていたので、2人分の人生を買うぞ、みたいな気持ちは正直に言ってありました

──すてきな奥さんでよかったですね、本当に。

光原「まあ、そうかもしれない」