西城秀樹という身体を通り抜けると──
デビュー50周年の記念日にあたる2022年3月25日には、7枚組にもおよぶDVD-BOX『THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories』がリリースされた。TBSの各番組に出演した名場面を集めたもので、何度も栄誉を受けた『輝く!日本レコード大賞』も収録している。
「西城秀樹に関してはTBSさんがいちばんです。1973年の『青春に賭けよう』(4曲目のシングル)から映像が残っていますし、『ザ・ベストテン』も『8時だョ!全員集合』もあります。秀樹さんは “TBSっ子”って言われていたくらいで、たっぷり素材がそろっているんです。
久世光彦さん(ドラマ『寺内貫太郎一家』などを演出)がプロデュースした『セブンスターショー』や『サウンド・イン“S”』も含めて、せっかくの50周年なんで一気に出そうよ、と」
──全部入っているんですか?
「さすがに全部は無理でした。例えば『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』は『ザ・ベストテン』に9週連続でランクインしていますが、3回くらいに絞らなければいけません。(番組史上最高得点の)9999点を記録した回など、印象的なところを選ばせてもらいました」
──秀樹さんのヒット曲はほとんどが聴けますし、洋楽のカバーも見ものですね。
「クイーンやバリー・マニロウの曲も入っています。外国の曲はふつう許諾がおりないんですが、3年間かけて交渉を進めて、デビュー50周年に合わすことができました」
よく知られているように、西城秀樹最大のヒット曲である『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』はもともと米国のヴィレッジ・ピープルのカバー。そのため日本作曲家協会が主催する「日本レコード大賞」の受賞こそかなわなかったが、時代を超えて歌い踊りつがれて、今や世界に誇る日本のアンセムに。また、ワム!(ジョージ・マイケル)の『ケアレス・ウィスパー』を日本語で歌った『抱きしめてジルバ』(1984年)も出色のできばえ。
レコード化されずライブでだけで披露したなかにも名演が多い。1985年の武道館コンサート(インタビュー前編を参照)では当時のシングル50曲すべてを歌い上げたあとアンコールの最後にボブ・ディラン作曲の『アイ・シャル・ビー・リリースト』を歌ったが、日本語の歌詞も、歌唱表現も、みごとなまでに西城秀樹のオリジナルと化していた。
「本当にびっくりするのは、西城秀樹という身体を1回通り抜けると、とてつもない曲に生まれ変わるということです。カバーであってカバーでないというか」
──選曲で驚かされることはありましたか?
「ありました。僕らの感覚とはまったく違うところで、秀樹さん独特の直感というかインスピレーションがわくみたいで、“片方(かたがた)、これに詞を書いて!” “はぁ!? ”みたいな」
──例えばどんな曲でしょう?
「ボン・ジョヴィの『WE GOT IT GOING ON』。これは2000年代にけっこう歌っています。金曜日の夜、仕事終わったらスーツを脱いで盛り上がろうぜ、みたいな歌で、秀樹さんの作品としては出ていませんが、オープニングで使ったりアンコールの1曲目とかでやりましたね。
このときも秀樹さんに言われて、僕が歌詞のたたき台を書いたんですけど、10分ぐらいすると “できた?”って」
──せっかちですねぇ(笑)。
「せっかち(笑)。横にずっとついて見てるんですよ。
それで英語の歌詞は参考程度にして、男の心情やカッコいい情景描写みたいなのをロックのビートに乗せていきました。ひと通り言葉を並べたところで、“片方、これ歌ってみろ”。
本当に仮歌ですよ。ちゃんと乗っかっていない、ただ語呂だけ合わせたのを聴いて、 “うん、わかった”。それが次にバンドと一緒にやるときには、秀樹さんの身体を通って出てくる日本語が、完全なるロックに変わってるんですよ。これはすごい才能ですよ」