「俺だったらこれ」というセンス
パッケージとして世に出たなかでは、ライブDVD『FRONTIER ROAD』(1991年)の1曲目『Workin' for Money』も片方さんが訳詞したもの。
「クレジットでは織田哲郎作詞・作曲となっていますが、実は織田さん自身は全編英語で歌っているんです。その曲があまりにもかっこいいものだから、秀樹さんが “これ、(日本語の)詞をつけてくれ”と」
──そういう曲はどうやって見つけるんですか?
「サンプル盤をもらっていろいろと車の中でかけるんですが、何百曲、何千曲ある中でビビッとくるものがあるみたいで。その1曲を選ぶセンスがすごいんですよ。
秀樹さんには “俺だったらこれだな” みたいな。 “俺が歌ったらこうなるぞ” という完成形が、ちゃんと描けているんでしょうね」
──すごいです。やっぱり移動中も音楽を聴いているんですね。
「車の中で、当時はカセットかな。ずっとBGMでかけていると、たまに(秀樹さんに)引っかかるんですよ。“ん? これ、なんて曲?”。そうすると来た来た来た(笑)、って。
あとは歌番組の資料もずっと聴いていました。それこそ『夜ヒット』とか『ミュージックフェア』とか、いろいろな番組でいろいろな曲を覚えなきゃいけないので、車の中に入ったら自分でカセットを出して曲をかけていましたね」
──カーステレオですか?
「いいえ。カセットデッキを後部座席に持ちこんで、ゴロンと寝っ転がりながら、秀樹さんが自分でガチャガチャやるんです。
NHKでは『青春のポップス』のレギュラーを4年間(1998年〜2002年)やったんですけど、あれは基本ぜんぶ洋楽のカバーでした。新しい曲に挑戦するときは、秀樹さんのキーに合わせたデモテープが届くので、それをじっくり聴きながら、秀樹さんオリジナルの洋楽ポップスを作っていきました」
──仕事を離れて、カラオケを楽しむなんてことはありましたか?
「たまに、ですね。芸能界でも細川たかしさんのようにご自分から率先して歌われる方もいらっしゃいますが、秀樹さんは歌ってと頼まれても “いや〜”って遠慮したり。
でも、気分が乗ると『北酒場』を歌っていました。そこで僕が呼ばれて、“北の〜”って3度上をハモると、気持ちよさそうにしてくれました」
──ほかにはどんな曲を?
「裕次郎さんはたまに歌いました。“夜霧よ〜”とかですね。ただ、あんまり日本語の歌は歌いませんし、流行(はや)っている曲とかもぜったい歌いませんでした。あくまで遊び。余興としてやるならだいたいそんな感じだったと思います」