きっかけは、なりゆきで書いた児童書籍
──芸能マネージャーと作家、まったく関係なさそうですが、なにかきっかけはあったのでしょうか?
「実はなりゆきで、マネージャー時代に『うちらのオーデョション物語』(学研パブリッシング、2012年)という児童書籍を1冊書いているんです。所属モデルたちの話をもとに、彼女たちがモデルになるまでの物語が書かれています。実はこの書籍は、もともとは別のライターさんが書く予定で、私はモデルに聞いた話を簡単なプロットとしてまとめていたんです。
そうしたら書く予定の方が急きょ、難しくなってしまい……。プロットを見た編集者に、そのまま書いてほしいと依頼され、流れで書くことになったんです」
──それが作家への第一歩だったんですか?
「そう見えるのですが、そんなことはないんです。その時点では作家になりたいとは思っておらず。ただ、つらいからマネージャーは辞めたいと思っていました。でも会社から引き止められ、その代わりにマネージャーだけでなく舞台のプロデューサをやってみないかと提案されたんです。
プロデューサーと言っても脚本を書くわけではなく、メインはお金まわりのことなど裏方の仕事。でもこの頃から舞台の脚本や、モデルが出演する作品の台本を読んでいると、“こうすればもっと面白いのに”、“自分ならこうするのに”と思うようになっていました。せっかくお金をかけて作品をつくるのにもったいないという、怒りではなく虚しさを感じていたんです」
──その経験が生かされているんですね。
「そう思います。この頃には私も30歳くらいになっていました。芸能の仕事はにぎやかですが、私は先ほどのように、毎日時間を問わずかかってくる電話から逃げて、ひとりで静かに仕事がしたいと思うように。実際に作家になってから2年くらいは、携帯電話を持っていない時期がありました。さすがに不便でまた持つようになりましたが(笑)。
理想とする環境で働くには小説を書くか、絵を描くしかないと思いました。絵は好きだったのですがプロになるのは難しく、『うちらのオーデョション物語』で文章を褒めてもらえたことが意外とうれしかったのもあり、作家にチャレンジすることにしたんです」