私たちは毎日のようにスマホやパソコンを使い、当たり前のようにさまざまなウェブサイトを目にしています。使いやすいサイト、見やすいサイト、洗練された動画や画像、幻想的なグラフィックを使ったおしゃれなサイト……、このようなサイトを制作しているのがWebディレクターというスペシャリストです。でも、Webディレクターって、どんなことをするお仕事なのか、ご存じですか?
あなたのお気に入りのサイトは、どのようなプロセスを経て作られているのでしょう? 知っていそうで実はよく知らないお仕事のこと、“フムフムハローワーク”がご案内します。第1弾(全4回)はタグチマリコ(田口万里子)さんにご登場いただき、Webディレクターというお仕事について教えていただきます。
◎第2回:【Webディレクター#2】デザイナー、エンジニアのポテンシャルを引き出すのが優秀なディレクター
◎第3回:【Webディレクター#3】資格を取得したからといって優秀なディレクターになれるわけではない
IT業界にはびこる、まか不思議な業界ルール
──マリコさんは常々、“日本のIT業界はクリエーターが育ちづらい”と言われていますが、それはどういうことなんですか?
「わたしも制作会社に勤めたときに初めて知ったんですが、どんなに注目を浴びるサイトを作っても、特に日本では“あれを作ったのはわたしです”と秘密保持契約上の理由で公言できないんです。よほど著名なデザイナーさんかイケてるデザイン会社でないと、“あの会社(クライアント)とコラボした”という言い方もできません」
──言っちゃいけない?
「はい。クリエーターというのはオリジナル作品を発表して、それが評価されて新しい仕事、次の仕事へと発展していくものなんですが、制作物、成果物を公にできず、きっかけが得られないからステップアップにつながらないんです。未経験者だと制作会社に入社するハードルも高いですし」
──なんですか、そのルールは。クリエーターが自分の仕事を公にできないなんて聞いたことがありませんが……、日本だけですか、そういうルールがあるのは?
「少なくとも海外に住む友人のデザイナーに聞く限りでは、そのようです。特に広告代理店から制作の依頼があったときはそうですね。パートナーシップを結ぶ際の契約書に、“うちが作った”“わたしが作った”と言ってはならないという条項が記載されていることも多いです。広告代理店自身も“うちが作った”と言えないことがあり、クライアントもどこの制作会社に作ってもらったとは言いませんね」
──どうしてそんな不思議なルールが定着したんでしょう……?
「わたしもいつからあるのかわかりませんが、だいぶ前からそういう文化が定着しているみたいですね」
ゼネコン構造がクリエーターの成長を阻んでいる
「IT業界にはもう1つ大きな問題があって、これも制作会社に勤めてみればわかるんですが、日本のIT業界もゼネコン業界と同じ構造で成り立っているんです」
──ゼネコンというと、建設業界と同じということですか?
「はい。大きな橋を懸けるなどの公共工事や、ターミナル駅周辺の大規模な再開発などはまず大手ゼネコン企業が受注して、それを下請け、孫請けというかたちで小さな建設会社、土建会社が請け負いますよね。IT業界もまったく同じなんです。
大きな仕事はまず大手広告代理店が受注します。制作会社が請け負う仕事は、大手広告代理店の下請けも多いんです。ベンチャー企業も、結局のところは大手の下請けをやらないとやっていけないところがほとんどだと思います」
──マリコさんがいらした制作会社も、ですか?
「はい。仕事の半分は大手広告代理店の下請けでした。直受けでやっていたのは全体の4割あるかどうかです。ただ、下請けとは言っても仕事が途切れることがないので、会社としてはありがたいんですよ。いわゆる“太い”仕事を確保できるから業績も安定するし」
──そのときに成果物を公にしないという契約を結ぶわけですね?
「そうです。わたしがいた制作会社は、仕事は多かったんですが、どんなに仕事をしても、自分たちが作った成果物をポートフォリオ(クリエイターの実績を表す作品集)にすることはできませんでした。そうすると、労働の対価だけで仕事をしている状態が延々と続くことになります。それって、いたずらに疲弊するだけなので、クリエーターとしてはフラストレーションが溜まるんですよ」
──なるほど。確かにそれではクリエーターが育たない。でも、そのぶん収入がいいから、それで我慢するなんて考えは?
「どうですかね、わたしは我慢できませんでしたけど(笑)。でも、収入で言えば、わたしの初任給は18万円でした。地方の制作会社だともう少し低いかもしれません。中堅の制作会社で、新卒の月収が25~30万円くらいでしょうか。キャリアを重ねると50万円を超えてくると思いますが、Webディレクター以外の肩書きでの仕事が増えるようになってくると思います。わたしも最近は総合的なプロデュースの仕事が多いので、“クリエイティブディレクター”を名乗ることが多いですね。
わたしは制作会社に3年勤めましたが、その間、IT業界のゼネコン構造をずっと目の当たりにしてきました。わたしはそれが嫌だったし、このままだと成長できないと思って会社を辞めました」
──やはり、クリエーターが自分の仕事を公にできないのはおかしいと?
「はい、自分の作品を堂々と発表できないなんておかしいですもの。辞めるときも変なルールがあって、これも契約書に署名させられるんですが、退職したら向こう3年間は同業職に就いてはいけないんですよ。“競合避止義務”というやつですね」
──独立も許されないんですか?
「実際は形骸化されているというか、あまり守られている印象はありません。狭い業界なので、何かトラブルが起きたときの保険なのかもしれませんが、わたしは前の会社を辞めた後、ご縁があって起業しましたけど、特にトラブルはありませんでしたね」
──不思議な業界ですね。
「本当に同業職に就けなければ、憲法が保障する“職業選択の自由”にも抵触するので、入社前に契約書をちゃんと確認したほうがいいですね。形だけのルールになっているのが実状かと思います」
28歳の若さで、何社もの起業から“顧問”就任の依頼
──制作会社を辞めた後に27歳で起業されてますが、ベンチャーだとゼネコンルールに巻き込まれるのでは?
「いえ、わたしが共同経営で立ち上げた会社は、クリエーターが自分の作品をどんどん公にするのを第一義にしていました。そのための会社ですから。ゼネコン構造に逆らおうとは思っていませんが、クリエーターが自分の作品を公表できるような社会にしたいと思っていたんです。
それができるようになれば、クリエーターは気持ちよく制作に取りかかれるだろうし、ポテンシャルを発揮してどんどんいいプロダクト(作品・商品)を作ると思います。そうすれば成果物が良くなるだけでなく、サービスの向上にもつながっていきます。ユーザーはもちろん、クライアントだって喜びます。いいこと尽くめだと思いませんか。
──しかし、せっかく設立した会社も1年でお辞めになっています。これはどうしてですか?
「経営方針の違いからですね。IT企業を興す人の中には、何かすごい事業をつくって有名になりたいとか、お金持ちになりたくて起業する人も少なからずいます。利益は大前提として、わたしは自分の可能性を信じて新しいことにチャレンジするのがクリエーターだと思っているし、やっぱり“いいものを作りたい”“作品と呼べるものを残したい”という気持ちが強いので、ユーザーに提供するクリエイティブの品質を追求したかったことと、クリエーターにとってよい場所を作ることを優先したかった。それができないなら、じゃあ辞めますと。いまは別のベンチャー企業にブランドマネージャーとして参画しています」
──やはりWebディレクターとしてですか?
「肩書きはWebディレクターやクリエイティブディレクターにしていますけど、ディレクションのほかに企業の顧問も何社かやっているんです」
──28歳の若さで企業の顧問を……、しかも数社の?
「はい。たとえば店頭販売では売り上げが伸びないからオンラインショップをやりたいというお客さまがいらしたら、Webディレクターはウェブサイト制作を引き受けますが、そのとき、オフラインではどうして売り上げが伸びなかったのか、原因を探ります。わたしの場合、好奇心で調べることもありますが。
でも、原因を探っていくうちにわかることもあって、ウェブサイトの制作には直接関係がなくても、課題や改善策をクライアントに提案することもあります。そういうことをずっとやっていると、職業はWebディレクターでも、仕事の領域がほとんどコンサルティングと変わらなくなることもあるんですよ。
──それで顧問を?
「そうですね。もともとのクライアントさんから打診されることもあれば、これまでおつきあいのなかった企業からいきなりお声がけをいただくようなこともあります」
──顧問というのは、どのようなことをするんですか?
「わたしの場合は経営戦略について話したり、UI/UX(※)についてレクチャーしたり、マーケターとして広告プランニングを設定することもあるし、デザイナーとして手を動かすことも……、内容は企業によってさまざまです。
Webディレクターという仕事は、依頼されたとおりの仕事をするだけじゃなくて、クライアントが求めている以上のウェブサイトを作るにはどうすればいいか、自分はクリエーターなんだという自覚を持って仕事に向きあっていれば、経験も仕事の幅もどんどん広がって、最終的にはコンサルタントみたいになることもしばしばあります。
でも、どんなに仕事の領域が広がっても、わたしはクリエーターの1人に過ぎないし、ベースはWebディレクターであることに変わりはありません」
(※)UI(ユーザーインターフェース)は操作性や機能性を含め、ユーザーの視覚に触れるすべての情報。UX(ユーザーエクスペリエンス)はユーザーがサービスなどを通じて得られる体験
Webディレクター・タグチマリコさんのご経験とご経歴は、まるで“出世魚”を見ているかのようでした。クリエーターとして“いいものを作りたい”“美しい作品を残したい”という強い気持ちが、Webディレクターを魅力的なお仕事にしているのかもしれません。
(取材・文/降旗学)