「自分でメディアをやっちゃえばよくない?」苦悩の中で気づいたこと
ヒョウリ:まず、YouTubeを最初に始めたのは、矢崎だったよね。
矢崎:そうですね、音楽サークル出身で、最初になぜかYouTubeを始めたのが僕ですね。僕が大学を中退してWebの広告代理店に勤めていた時に、その会社の中で始めたのがラーメンYouTuberの「SUSURU TV.」なんです。SUSURUも同じサークルで、僕らのさらに下の後輩なんです。だから、最初は会社の中の事業として始めたんですよ。
本田:SUSURU TV.に関しては、挫折したことがないんでしょ?
矢崎:挫折っていうのはないね。 SUSURUも最初のほうはいろいろ大変でしたけど、わりとすぐに軌道に乗りました。なんなら、スタートして1か月くらいで手応えは感じてたかな。
ヒョウリ:矢崎がYouTubeで成功してるっていうのは知ってたけど、昨年SUSURU TV.にキアヌ・リーブスが出てて、とんでもないなと(笑)。もうわけわからなくて、感動したよ。
矢崎:そんな感じで、本田が放送作家をやっている頃には、もうYouTubeを始めてましたね。
ヒョウリ:それで、次は本田がYouTubeを始めるわけか。でも、本田は放送作家として面白かったと思ってるし、YouTuberになるとは思ってなかったんだよね。
本田:僕は、ラジオの番組制作会社に入って放送作家を6年やったんです。4年くらい下積みして、ラスト1年くらいで本格的に作家になったんですけど、キツすぎて……!
まず給料がめちゃくちゃ安かったんです。最初、給料7万円スタートだったんですよ。
矢崎:法的にダメでしょ(笑)。
本田:それでカードゲーム屋でバイトしながらギリギリ生活してたんです。ある時、バイトで作家の仕事に入れないことがあったんですけど、そしたらブチギレられて。それで、「給料いくらだったらバイトやめられるんだよ?」って聞かれたんですけど、なんか僕の金銭感覚がおかしくて「10万円です」って答えちゃったんですよ(笑)。それで、月10万円の地獄のような生活が始まっちゃって……。
ヒョウリ:それが、よく遊ぶようになった頃の本田だね。極貧で、出たカードを売ってご飯を食べてた。
本田:ただ、番組を作ることは好きだったし、作家になったら給料も17万円くらいまで上がって、やっとまともになったんですけど、そしたら別のキツさが出てきて……。
激務に加えて、数字のプレッシャーとか人間関係もあって、その頃に「どこかに属している必要ってあるのか?」と思い始めて。「自分でメディアをやっちゃえばよくない?」って思ったんですよね。
たとえば、タカハシさんと「サブカル分かれ道」っていう番組をやった時とか、「これ、別に自分たちだけでもできるな」って思ったんですよね。むしろ、この番組をYouTubeでやったほうが、もっとアクセスしやすいし、自由に制約なくできるじゃんって。
そんなことを考えてた時に、ちょうど池田も仕事で悩んでたんです。
ヒョウリ:ここで、やっと! 池田の登場!